JBC開催が始まった2001年。日高で開催される競走馬市場は、1000頭を超える上場頭数を誇るサマーセールや、1年の締め括りとなるオータムセールの売却率は、ともに約31%と低迷。最も選りすぐられた1歳馬が上場されるセレクションセールの売却率でも、54.1%と厳しい状況だった。
地方競馬の売上も厳しい状況が続いていた中、生産者が主導となり、アメリカのブリーダーズカップを範とした形で創設されたのが、JBC開催だった。短中距離でのチャンピオンを決めるレースとして始まったが、当初から2歳カテゴリーを作ることは悲願だった。それは、馬が売れず、ホッカイドウ競馬に託すオーナーブリーダーが多い状況もあった。
生産、育成、競走のサイクルは、どの地区よりも密接であるホッカイドウ競馬で、早い時期にデビューできる若駒のビッグレースは、生産者にとって待望だった。北海道2歳優駿JpnⅢを引き継ぐ形で、門別競馬場でJBCと名の付くレースが創設されたことは、JBCの理念を考えれば、大変意義深い。
JBC開催を迎えるにあたり、最も古いAスタンドを増築し、3階建ての来賓及び馬主席ができた。また、ジンギスカンを楽しむスペースとポラリススタンドの間に、2階建てのとねっこラウンジも完成した。1週前にようやく、これらの竣工式が行われたほど、何とかJBC開催に間に合ったという慌ただしい状況だったが、JBCのロゴや横断幕を見ると、関係者やメディアたちも気持ちが高まってきた。JBCデーから、事前抽選による限定的な状況ながら、ファンも入場できるようになり、第1レースから賑わいを見せた門別競馬場は、まさにダート競馬の祭典だった。
今年のホッカイドウ競馬は、例年に比べると中距離の番組が少なく、2歳の中距離戦が始まったのが、6月4日のアタックチャレンジ(1700メートル)。その勝ち馬であるシビックドライヴが、その後の中距離路線で物差しとなる。早い時期に中距離にシフトして勝ち上がった馬たちが、他の追随を許さない状況が、今年の2歳中距離の図式だった。
対するJRA勢は、函館2歳ステークスGⅢで2着に健闘したルーチェドーロや、プラタナス賞を勝ったタイセイアゲイン、好時計で1800メートルを勝ち上がったレイニーデイとカズカポレイなど、例年以上の好メンバーが揃った。
先週にかなり雨が降り、前日の夜にも一時的に雨が降った門別競馬場。大一番を控える序盤のレースで、前残りの競馬が目立ち、騎手たちも先行することを意識して騎乗していた。どのレースもハイペースとなり、中距離戦は差し馬の台頭もあったが、JBC2歳優駿JpnⅢでも序盤から激しい先行争いが繰り広げられた。
カズカポレイが逃げ、ルーチェドーロが続くラップは、12秒1-11秒5-12秒3=35秒9と速く、向正面に進んだ後も12秒4-12秒7とラップが緩まず、5ハロン通過で61秒を刻んだ。後方にいた吉原寛人騎手と岩橋勇二騎手は、「前と離れていても、慌てなくても追いつくと思った」とレース後に話していたことが、厳しい流れだったことを物語っている。
3番手にいたブライトフラッグが早めに先頭へ立ち、中団で折り合いに専念したラッキードリームが直線で力強く抜け出す。外からトランセンデンスとサハラヴァンクールが追い込み、地元勢が首位争いを演じていた時、大声を出せない環境ながらも、場内から拍手や声援が飛び交った。ラッキードリームが接戦を制し、ゴール板を過ぎた1コーナーあたりで石川倭騎手はガッツポーズを見せた。JRA勢は、レイニーデイが3着に食い込み、何とか意地を見せた。
「(18年に)エーデルワイス賞を勝った時とは違う、何とも言えない嬉しさがありますね」と石川騎手。JBC2歳優駿JpnⅢは、開幕前から関係者が目指していたレースであり、記念すべき第1回の勝者となった……。簡単に言えばそうだが、話しているとそんな単純なものではない。JBCは馬産地の祭典として定着した瞬間だと感じた。道営記念とともに、大いなる目標へ確実に育つレースとなるだろう。
Comment
石川倭 騎手
乗り手に従順で、乗りやすい馬です。レース前からハイペースが想定できましたので、じっくり構えていこうと思っていました。外から何か来ていたのは感じていたので、最後まで気を緩めず、しっかり追いましたが、勝利を確信した瞬間は、本当に嬉しかったです。今後の成長も楽しみです。
林和弘 調教師
芝を走った疲れが多少残っていた前走より、間隔を空けて立て直した今回は、状態も上がっていました。中央馬もいるので、ペースが速くなると思っていましたから、巻き込まれないようにと指示を出しましたが、石川倭騎手がうまくエスコートしてくれました。この後は、全日本2歳優駿に向かいます。