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連載

連載第12回 1993年 鞆の浦賞

不器用な男の夢を叶えた野生馬
ナタリージョージ

7馬身差の圧勝劇(写真左端がナタリージョージ)
※ 写真はレース映像からのキャプチャー画像です
(映像ファイルサイズ:26MB)
 バブル最盛の1993年。Jリーグが華々しく産声を上げ、スポーツ界に歴史的瞬間の1ページを刻み、あのミスター、長嶋茂雄がJリーグ人気対抗の切り札として球界に復帰。ミュージックの世界ではZARDの「負けないで」がいまは亡き坂井泉水さんのさわやかな歌声に乗って記録的な大ヒットを飛ばすなど、日本列島が躍動感にあふれ、勇気と希望に満ちていた1993年だった。
 いまからさかのぼること18年。アラブの聖地として福山で史上2頭目の全日本楠賞馬に君臨した昭和最後の怪物ローゼンホーマ、そして平成が生んだ疾風貴族アサリュウセンプー、さらには黒い稲妻ムサシボウホマレ。いまだファンの記憶に鮮明な魅惑の天才パフォーマーたちを送り出した王国福山はまさにアラブ人気の絶頂期。人、人、人の波であふれ返った1993年11月7日の「第17回鞆の浦賞」。あの衝撃的で戦慄の名シーンが走馬燈のごとく脳裏に甦ってくる。勝負は時として残酷で非情、そして感動でかつ、衝撃的なシナリオを作り出す。その象徴的な劇的ドラマを演出したのが名脇役から一躍、ヒーローの座を射止めた遅咲きの大器でミスタージョージの最高傑作とも謳われたナタリージョージだ。
 ダントツ人気は独壇場の逃げで福山ダービーを制し、全日本楠賞ブービーの屈辱をバネに逞しい成長を遂げたオールセンプーだ。500キロにも及ぶ迫力ボディーから繰り出す驚異のスプリントは「アサリュウセンプーの再来」とも評され、楠賞以降は圧勝に次ぐ圧勝で鞆の浦賞に至るまで7連勝。夏には金杯、秋にはオープン2連勝をマークするなど、明け4歳馬(当時は3歳ではなく、4歳表記)にとっては異例ともいえるスピード出世だった。単勝支持率は実に54%。売り上げの半数以上がオールセンプーに投じられたのはいうまでもない。対する2番人気のイムラッドホマレはダービー2着のあと銀杯を横綱相撲でなで斬り、秋に準オープン連覇の勢いを駆って「ストップ・ザ・オールセンプー」挑戦だ。オールセンプーの逃走2冠をイムラッドホマレがどう攻略するのか、いやがうえにも盛り上がる一騎打ちムード。スタンド全体を包み込む大いなる期待と胸をときめかせる興奮。
 が、鞆の浦賞史上まれにみる大ドンデン返しのアンビリーバブルな衝撃ストーリーはスタートの瞬間から待ち受けていた。例によって抜群のゲートセンスで勢いよく飛び出したオールセンプー。この大一番の3走前から新コンビとして手綱を捌き、あのブラウンバット、タッカギルツという超一流相手を撃破した重賞スペシャリスト、嬉勝則騎手も「とにかくスピードは別次元。まして同世代相手なら負ける要素は99%ない。残る1%は予期せぬアクシデントがあった場合だ」とキッパリ言い切った。勝つことよりも、勝ち方を求められたオールセンプーだったが、そこには悪夢の落とし穴が…。独り旅に持ち込もうとするオールセンプーに、豪腕鋤田のイエローホーマーがオールセンプーのペースを崩しにかかる。1周目のスタンド前にさしかかると一段とピッチが上がり、2頭が前代未聞のラップを刻み、騒然とするスタンド。前2頭から5、6馬身近く離されてイムラッドホマレ、ヒカルカンサイの2頭がピッタリ併走。さらに7,8馬身引き離されて6頭が団子状態となって後方グループを形成。その後方グループの2頭目にナタリージョージが満を持しての追走だ。
 逃げるオールセンプーに、一歩も譲らないイエローホーマー。レースが急速に動き始める勝負どころの向こう流しで、どよめくスタンドが悲鳴に変わった。スタートから終始、イエローホーマーの容赦ないボディーブローを浴びせられたオールセンプーが一気にペースダウン。まさに天国から地獄、嬉勝則はリングにタオルを投げ入れるしかなかった。ローゼンホーマ産駒として初の重賞ウィナーの野望に胸ふくらませたイエローホーマーも壮絶な打ち合いにロープダウン状態だ。逆転戴冠へあくなき執念で臨んだイムラッドホマレは魔のペースに引きずり込まれ、残り600メートルの3ハロン棒を待たずして徐々に脱落。もはや盛り返すだけの体力は限界に達していた。
 栄光のゴールまであと650メートル。後方集団がひと固まりとなり、まるでトルネードのごとく先行グループを一気に飲み込むと「ウォー!!」という凄まじい雄叫びにも似た歓声がスタンドに激しくこだました。
 ここから始まるナタリージョージ、怒濤の独走劇。オレンジの帽子も鮮やかに外山騎手がグイグイ手綱を押し、3コーナーでいち早く先頭に躍り出る。ナタリージョージの外山騎手が動くと同時に、切れ味自慢で最大のダークホースとして穴人気に支持されていたサイキプリンスの野田騎手も仕掛けるタイミングを密かに狙っていた。ナタリージョージの外から迫る不気味な黒い影。が、外山騎手はサイキプリンスの猛追にも全く動じることはなかった。ナタリージョージから伝わるしびれるような感触の手応えを全身に感じ取っていた。それは「外山さん、オレの力を信じて乗ってくれ!!」とナタリージョージが訴えかけているようにも思えた。サイキプリンスの追撃もナタリージョージにとってみれば単なる引き立て役でしかなかった。勝負どころの三分三厘、1頭だけ違う脚色で2馬身、3馬身、4馬身…。後続の足音すら外山騎手の耳には届かない。それでも外山騎手は手綱を緩めることなく、鬼気迫るアクションでただひたすらゴールをめざした。幾度となくケガに泣かされ、現役断念の危機にも見舞われた。悲運との闘いに涙しながらも歯を食いしばり、不屈の精神力で耐え抜いてきたジョッキー人生。雑草男の真骨頂、そのままの姿だった。
 エンディングはスタンドがア然とする驚愕の7馬身。夢にまで見た重賞のVゴールをさっそうと駆け抜けたその時、「大番狂わせとなりました!!今年の鞆の浦賞!!」。中島アナの絶叫が波乱のすべてを物語っていた。スマートでもなければ、華麗でもない。どちらかといえば地味で不器用な36歳の男が見事に演じ切った一世一代の晴れ姿。まさに渾身、鬼迫の118秒。それは外山清彦、デビューから数えること19年目の遅すぎた春、それはまさに傷だらけの集大成だった。
 重賞レースの華といえばウイニングランだが、外山騎手はそれをためらった。派手なパフォーマンスはけっしてお似合いではなかった。ウィナーズサークルに平静を装って引き揚げてきた外山騎手だが、その顔は紅潮し、唇を振るわせ、激戦が物語る大粒の汗を右手でぬぐいながらスタンドの大歓声に心の中で「ありがとう!!」と思わず叫んでいた。黄昏色に染まった晩秋の空から覗くほんの僅かな日射しがスポットライトなって役目を変え、外山騎手の瞳にはキラリと光るものがあった。レース前日、調整ルームに向かう玄関先で苦労をともに分かち合ってきた民子夫人がそっとささやいた「お父さん、負けないで」のひと言がやけに心に響いて離れなかった。調教師としての再スタートを翌年に控え、ジョッキー外山清彦がナタリージョージで手綱を捌くのはこの鞆の浦賞が最後となった。生涯一度きりの重賞セレモニーで表彰台からスタンドのファンに花束を手渡し、まぶたをじっと閉じた瞬間、外山騎手の脳裏には二人三脚で支え合ってきた民子夫人のやさしく微笑む幻影がはっきりと浮かんでいた。
 94年にステッキを置き、人生の新たなスタートラインに立った外山調教師はナタリージョージを厩舎の看板馬として迎え入れた。しかし、ナタリージョージは鞆の浦賞に続き、暮の西日本アラブダービーで4歳の頂点に登り詰めながらも、屈腱炎という致命的なハンデを背負う過酷な運命に打ち勝てず、西日本アラブダービーから僅か3戦。休養で再生を繰り返しながらも甦ることはなく、95年に競走馬としての幕を静かに下ろした。18年経ったいまでも外山調教師は秋の深まる鞆の浦賞の季節になるとひたすら野性的だったナタリージョージの逞しい勇姿が目に浮かんでくるという。そして耳元にはあのささやくように語りかけるひと言が…。「お父さん、負けないで」…。
文●樋本輝明(福山エース)
(協力:福山市 競馬事務局)
競走成績
第17回 鞆の浦賞 平成5年(1993年)11月7日
  アラ系4歳 1着賞金515万円 福山1,800m 雨・重
着順
枠番
馬番
馬名
所属
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 7 7 ナタリージョージ 福山 牡4 55 外山 清彦 1.58.4 3
2 2 2 サイキプリンス 福山 牡4 54 野田 誠 7 6
3 8 9 ダイドウテイオー 福山 牡4 54 胡本 友晴 1 7
4 8 10 ミキノテイオー 福山 牡4 54 田代 専二 5 8
5 3 3 イムラッドホマレ 福山 牡4 57 渡辺 博文 1 1/2 2
6 1 1 ヒカルカンサイ 福山 牡4 55 小嶺 英喜 ハナ 4
7 4 4 グリンヘイセイ 福山 牝4 53 北野多美男 3 8
8 5 5 インターレコード 福山 牝4 53 田邉 廣文 5 10
9 7 8 イエローホーマー 福山 牡4 56 鋤田 誠二 6 4
10 6 6 オールセンプー 福山 牡4 57 嬉 勝則 9 1
払戻金 単勝1,110円 複勝190円・260円・320円 枠連複10,770円
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