55年の歴史を誇る東京ダービーにおいて、牝馬の優勝はたった4頭。第1回(昭和30年)ローヤルレザー、第11回(昭和40年)ヒガシユリ、第35回(平成元年)ロジータ、そして第37回(平成3年)アポロピンク。
アポロピンクは東京ダービーを制した後に中央入りし、引退後は新ひだか町(三石)の(有)レースホースで繁殖生活に入りました。「東京ダービーを勝った馬なので特別に感じるのかもしれませんが、来たときから馬は素晴らしかったですよ。自分の格を持っていると言うか」(高萩芳宣場長)
現役時代、普段はおとなしくてどっしりしていたそうですが、レースに行くと根性をむき出しにしていたということを、手綱を取っていた鈴木啓之調教師は話していました。
6歳で繁殖生活に入ると、すぐに放牧地の親分になったそうです。繁殖生活を終えて功労馬として余生を過ごしている現在も、そのポジションは変わらないそう。人間には優しい性格も、一緒に放されている繁殖牝馬には噛みつきにいくようなきつさを見せるので、みんなアポロピンクから逃げていくんだとか(苦笑)
21歳になりましたが、若い馬たちとも変わらずに、放牧地では元気に走り回っているそうです。歯が丈夫なのでカイバを食べる量も若い馬たちと一緒で、ペロッと平らげているのも元気の源。
他の繁殖牝馬にはきつくても、自分の子供は非常にかわいがりながら子育てをしていたそうです。「子供とはいつも一緒にいましたね。子供がお母さんのカイバを食べようとすると怒る馬もいるんですが、アポロピンクは一緒に食べなさいと言うようなタイプでした」(高萩場長)
13頭も産駒を送り出した子宝母さんですが、現在大井で走っている3歳のストロングウェイブが最後の産駒になるそうです。
東京ダービー馬アポロピンクはどんな馬だったんだろう。以前から一度会ってみたいと思っていました。現役時代は470キロから80キロ台で走っていたそうですが、現役から退いて15年が経ち、ひと際大きな体になった今でも、凛とした品のあるたたずまいは非常に印象的でした。現役時代から牡馬のようだったという威圧感やオーラは、何年経っても消えることはないんだなぁ、と。あっ、前髪やタテガミは以前に比べると少々薄くなってきたそうですが・・・(苦笑)「腰に肉もついているし、21歳になってもこれだけ立派なんですからねぇ」(高萩場長)
アポロピンク、長生きしてね!