当コーナーでは、地方競馬に関するイベントや注目レース等の気になる話題を写真と共にご紹介します。
地方でも中央でも超一流 安藤勝己騎手引退
2013年02月21日
取材・文●斎藤修写真●斉藤修、いちかんぽ、NAR
2カ月のブランクで決めた引退
“アンカツ”の愛称で親しまれ、地方競馬で数多くの重賞を制するなど活躍、初めて地方から中央へという移籍の道を切り開き、そして中央でも数々の名馬とともに偉大な足跡を残した安藤勝己騎手が引退した。引退の発表は突然のことだった。1月29日に引退の意向が伝えられると、翌30日には栗東トレセンで引退の記者会見が行われた。3月の騎手免許更新を待たず、1月31日付けで騎手免許を返上した。
2月3日の京都競馬場では引退セレモニーが行われた。重賞(きさらぎ賞)開催の日曜日にもかかわらず、京都競馬場の入場者はちょっと寂しいかなとも感じられたが、それでもセレモニーが行われた最終レース終了後のウィナーズサークルの周りにはたくさんのファンが集まった。
笠松のライデンリーダーで制した報知杯4歳牝馬特別、JRAに移籍して初めてのGI勝利となったビリーヴの高松宮記念、そしてキングカメハメハの日本ダービー、ダイワスカーレットの有馬記念など、思い出のレースがターフビジョンで流された。関係者からの花束の贈呈、記念撮影、そして現役騎手たちによる胴上げなども行われた。
近年の安藤騎手は、レース数を絞って騎乗を続けていた。ダイワスカーレットで有馬記念を制した08年が505戦(119勝)で、09年414戦(87勝)、10年353戦(56勝)、11年245戦(46勝)、12年153戦(14勝)というもの(いずれもJRAのみの成績)。12年11月24日の京阪杯でパドトロワに騎乗(15着)したのが、結果的に現役最後のレースとなった。
引退を決めた理由について、安藤騎手は引退セレモニーのあとの囲み取材で次のように語った。「やめようという気持ちになったのは、以前のように馬に乗っていて楽しいと感じなくなった部分もあったから。それが自分でもイヤで……。普通は怪我とかして2カ月も休んだら、早く馬に乗りたいと思うんだけど、休んでいても乗りたいと思わなかったっていうのは、あっ、これは潮時だなと。納得できないような競馬が多くなってきたし、楽しんで馬に乗らなきゃ、馬も動かないと思うしね」
あくまでも淡々と、そしてサバサバとした表情で語った安藤騎手。こうした引退の仕方に、安藤騎手らしいと思った人は多かったのではないだろうか。
地方・中央で残した輝かしい記録
76年10月に笠松でデビューした安藤騎手は、3年目の78年には早くも笠松リーディングを獲得。その後も不動のリーディングでありつづけた。「交流元年」と言われた95年以降、JRAで騎乗する機会が増えるとJRAでの活躍が目立つようになり、01年にはJRAの騎手試験を受験。しかし1次試験で不合格。これには、「すでに十分に実績を残している騎手を不合格にするのはどうなのか」という意見が、ファンのみならず関係者からも高まり、JRAは翌年、「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上を2回以上記録した騎手は1次試験免除」と騎手試験の要項を改定。安藤騎手はこの改定を受けて合格し、03年3月からJRAの騎手となった。
笠松所属騎手としての地方競馬での成績は、14,056戦3299勝、重賞198勝。その後JRA騎手としても、地方で203戦54勝、重賞31勝という記録を残した。そしてJRAでは、地方騎手時代も含め、6,593戦1,111勝、重賞81勝。JRAでのGI・22勝は、武豊騎手、岡部幸雄元騎手に次いで、グレード制導入以降で3位の記録。03年にJRAに移籍してからわずか10年で残した記録ということを考えれば、驚異的だ。
キングカメハメハでの日本ダービー制覇、ダイワスカーレットではウオッカとの激闘に加え、牝馬での有馬記念制覇は、ファンにとっても、おそらく本人にとっても、もっとも印象に残るものとなっただろう。
一方地方時代では、トミシノポルンガで制した92年のダービーグランプリ(水沢)が強烈な印象を残した。後方2番手から水沢の短い直線で馬群を縫うように追い込んでの差し切り勝ち。これが地方通算2000勝の区切りの勝利にもなった。
ライデンリーダーで制した報知杯4歳牝馬特別も印象的なもので、中央のファンや関係者に衝撃をもって迎えられた。ライデンリーダーでは、牝馬三冠すべてに出走を果たしたことも評価されていい。
99年には、レジェンドハンターでデイリー杯3歳ステークスを圧勝。1番人気で臨んだ朝日杯3歳ステークスでは、直線を向いて単独先頭に立ったもののゴール寸前でエイシンプレストンに交わされ、わずか半馬身の差でJRAGIに手が届かなかった。この年にはすでに岩手のメイセイオペラがフェブラリーステークスを制していたが、もし勝っていれば地方馬による初めてのJRA芝GI制覇になるところだった。
笠松時代の思い出とともに
安藤騎手については、地方から中央への道を切り開いたパイオニアという言い方をされることがよくあるが、本人はあまり肯定的ではない。「あとの人のことを考えたわけではない。自分のために移籍した」と。たしかにそれはそのとおりだが、その後に何人もの地方騎手が中央に移籍できたのは、安藤騎手がいてこそのもの。あのタイミングで道を切り開くことがなければ、岩田康誠騎手や内田博幸騎手がJRAのトップジョッキーとして活躍する今があったかどうか。2月13日には、騎手としての故郷ともいえる笠松競馬場でも引退セレモニーが行われた。
もう22年も前のことになるが、安藤騎手が笠松時代に手綱をとったオグリキャップの引退式も、京都競馬場と笠松競馬場で行われた。「あのときはファンの数に驚きました。競馬場に入りきれなくて、向こうの土手のほうまで一杯でしたね」と懐かしく思い出した様子だった。
デビュー当時の思い出としては、わずか2カ月後に重賞のジュニアグランプリを勝ったことをすごくよく覚えていると語った。
笠松時代の思い出に残る馬としては、フェートノーザンの名を挙げた。「(地方競馬同士の)交流が全国ではじまったころで、馬について1カ月ぐらい北海道にいたり、大井に行ったり、一緒に生活することが多かったんで、思い入れの深い馬です」と。そのフェートノーザンでは、地方全国交流として笠松に創設された第1回の全日本サラブレッドカップ(88年)で、当時はまだ大井に所属していたイナリワンをしりぞけての勝利。翌年には大井の帝王賞を勝ち、やはり第1回として行われたブリーダーズゴールドカップ(札幌)をも制した。フェートノーザンは、まぎれもなく当時のダート最強馬だった。
今後については、「とりあえず競馬には携わっていたいなとは思うので、競馬の解説でも……」という話をされた安藤勝己さんだが、さっそく2月17日のフェブラリーステークス当日、民放の競馬中継に解説として出演。自身もアドマイヤドン(04年)とサンライズバッカス(07年)で制しているレースだけに、表彰式のプレゼンターもつとめた。
地方と中央の競馬の架け橋となり、リビングレジェンドとなった安藤勝己さんが今後、競馬とどうかかわっていくのだろうか。ずっと競馬のそばにいてほしい存在ではあることは間違いない。
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