当コーナーでは、地方競馬に関するイベントや注目レース等の気になる話題を写真と共にご紹介します。

悲願のナイター開催 “そのきん”スタート

2012年09月12日
取材・文●斎藤修
写真●NAR・斎藤修

■ファンも待ちわびたナイター競馬

 待望の『そのだ金曜ナイター(SONOKIN)』が、9月7日に初日を迎えた。
多くのファンが開門を待つ
 ナイター競馬の開催は、すでに廃止された旭川も含めると日本では7場目。他の公営競技まで含めると、今やナイター開催はそれほどめずらしいものではない、と思っていた。ところがその初日が近づくにつれての兵庫競馬の関係者の盛り上がりを見るにつけ、“関西圏では初”というナイター競馬は、やはりタダ事ではなく、それだけ期待も大きかったのだと感じるようになっていた。
 当日の園田競馬場は、ナイター競馬を待ちわびた3~400人ほどのファンが開門前に列をつくった。開門後の1時間で約600人という入場者はかなり出足が早い。
 数日前のピンポイント予報では雨マークもあった園田競馬場だが、迎えた当日は9月にもかかわらず、残暑というよりむしろ猛暑。さすがに日が暮れてからは9月らしくそれなりに気温も下がったが、それでもビール片手に競馬観戦というスタイルが似合うナイター開催初日となった。もちろん取材のぼくはペットボトルの水とお茶で我慢したが。
 日が暮れようかという時間帯にはパドックのビジョンの向こうに稲妻が走るのが見えた。東のほうには黒い雲も見え、大阪方面では局地的な大雨も降ったようだが、幸いにも園田競馬場には雨粒が落ちることはなく、さまざまに準備されたイベントも盛り上がった。
 飲食店の新規開店もナイター競馬の雰囲気を盛り上げた。7店舗のオープンが予定されたが、実際にナイター開催が決まってからの期間が短かったこともあり、この初日に開店が間に合ったのはそのうち4店舗。タコ天でおなじみ明石屋の隣には焼き鳥&唐揚げの『日高』。同じ西売店エリアには揚げたて串カツの『串勝や』。パドック向かいにはジンギスカンができる『オアシス』。東売店エリアにはラーメン専門店の『林家』。いずれもが、仮にここで競馬をやっていなかったとしても、仕事帰りの一杯や食事に寄ってもいいようなお店ばかりだ。
 17時20分発走の第5レース確定後、中央ウイナーズサークルでは、ナイター点灯式が行われた。青芝フックさんのリードによって、スタンドのファンと一緒に「5・4・3・2・1」とカウントダウン。この日のスペシャルゲスト間寛平さんほか、兵庫県競馬組合関係者や来賓の方々によって用意されたボタンが押され、ナイター照明に点灯。いよいよ『そのだ金曜ナイター』のスタートとなった。
大勢のファンと共に点灯
点灯式に出席した間寛平さん

■金曜のみのナイター開催で決着

 園田競馬場ではかなり以前からナイター競馬の計画はあったそうだが、地域住民との調整などでなかなか現実には至らなかった。その経緯について、兵庫県競馬組合総務部の田中氏にうかがった話を踏まえ、ここに記しておきたい。
 日本で初めてナイター競馬が行われたのが、1986(昭和61)年7月31日の大井競馬場。その後間もない時期から園田競馬場でのナイター開催も検討されるようになったという。しかしネット・電話投票や場外発売がかなりの割合を占めるようになった現在と違い、昭和から平成にかけての競馬ブームもあり、当時の園田競馬場には普段の開催から1万人を超える入場者があった。さらに大井競馬場とは大きく異る状況として、住宅街に囲まれていることが立地的なこともあった。それゆえ周辺住民の了解がまったく得られず、ナイター開催の実現には大きな壁が立ちはだかっていた。
 バブル崩壊後の時期にも再びナイター開催の計画が持ち上がったが、やはり同じ理由で計画は立ち消えになったという。
 そしていよいよ背水の陣でナイター開催に向けて動き出したのが、2010(平成22)年度の開催中に大幅な単年度赤字が見えてきた時期。大きな事業転換の手段としては、もはやナイター開催しか残されていないという状況となっていた。さらに何年か赤字が続けば廃止が現実的になりかねない状況で、この時は特に馬主も含めた厩舎関係者からナイター開催の強い要望があったという。
 ナイター競馬のスタートとして目標に定めたのは2012年4月。近隣の町内会に対しては2010年度の開催中から相談を持ちかけた。さらに2011年7月ごろからは近隣の1700~1800世帯全戸にビラを配布。町内会に加わっていない世帯も含め、その後に何度か説明会を開いたという。
 厩舎関係者の当初の要望は開催全日のナイター開催だったが、最終的に従来の火水木開催を水木金開催にずらし、金曜日のみのナイター開催で決着をみたことには2つの理由がある。
東門内に新設されたバス停
 ひとつは、もちろん地域住民対策。週末前夜のみの開催であれば、一般家庭の了解が得られやすいこと。また、来場するファンに対して園田駅との往復には徒歩ではなく、無料送迎バスを利用することも徹底して告知。競馬場から帰るファンが集中するメインレース終了後の時間帯には園田駅行きのバスを増便。これに対応するために、従来のバス乗り場だけでなく、東門近くにもナイター開催専用のバス乗り場を新たに設置することで対応した。
 もうひとつの理由は、全日ナイター開催となると、馬券の売上げの中でかなりの割合を占めるウインズ神戸・難波の売上げを失うことになるという心配もあった。JRAの施設であるウインズはナイター開催の時間帯は使用できないためだ。
グループ席の様子
 当初目標としていた2012年4月からのナイター開催が9月にまでずれこんだのは、地域住民の了解、その後の議会での承認が得られたのがようやくこの年の2月になったため。そこからようやく業者への工事発注等が始められることになり、ギリギリ間に合ったのがこの9月ということだった。先にも触れた飲食店の新規出店のほか、トイレの改修やグループ席の設置などでも、ナイター開催に備えた。

■岩田騎手によるサプライズ

 点灯式が行われた時間帯はまだかなり明るかったものの、徐々に暗くなるにしたがい、コースを照らすナイター照明が際立ってきた。ナイター競馬を盛り上げるに十分な明るさには、来場したファンや関係者も感心した様子だった。またコースとは反対側のスタンドやパドック周辺には電飾が施され、家族連れでもナイター競馬が楽しめるような雰囲気が演出された。
正門付近のイルミネーション
明るいパドック
豪華ゲストで盛り上がったトークショー
 第7レース終了後には、イベントステージで間寛平さんと岩田康誠騎手のトークショーが行われた。岩田騎手の話題は当然、日本ダービーをディープブリランテで制したことが中心。一方の寛平さんは若い頃から走って(!)園田競馬場に通っていたという。田中道夫現調教師が兵庫のトップジョッキーとして活躍していたころの思い出話などでステージ前に集まったファンを盛り上げた。
 図らずもそのだ金曜ナイターに華を添えることになったのが、木村健騎手の地方通算2500勝達成だ。
記念すべき日に記録達成した木村騎手
 木村騎手は8月30日の姫路第5レースを勝って2500勝にリーチ。園田開催に替わった9月5日には記録達成かと思われたが、その日は8レースに騎乗して、なんと2着が7回。翌6日は名古屋の秋桜賞にゴールドピアースで遠征し、その1レースのみの騎乗で7着だった。そして迎えたナイター初日、準メイン第8レースを1番人気のソトビートで快勝し、区切りの2500勝を達成した。本人にしてみればここまで引っ張るつもりはなかったのだろうが、もっとも盛り上がる場面での記録達成は、やはり何かを“持っている”のだろう。
 そして待ちに待った、記念すべき、悲願のナイター開催初日のメインに設定されたのが、古馬重賞の摂津盃。従来はお盆前後に行われてきたハンデ重賞だが、今年はそのだ金曜ナイターを待っての施行となった。
 ここでサプライズがあった。トークショーのゲストとして来場していた岩田騎手が、おじいちゃん誘導馬として人気のマコーリーに乗ってパドックに登場。最初はファンもそれとは気づかず、岩田騎手が「オレや、オレ」とアピールし、ようやく気づいたファンが湧いた。その後、摂津盃に騎乗するジョッキーがパドックに入場。そのジョッキーたちにもこのサプライズは知らされていなかったのかどうか、マコーリーの馬上に岩田騎手を見つけると、驚き、破顔一笑、そして通算2500勝を達成したばかりの木村騎手が岩田騎手とがっちり握手を交わした場面は印象的だった。
新旧のミスター「そのだ」による握手
粋な誘導馬のサプライズに場内は沸いた
 ちなみに岩田騎手の来場は、翌日のJRAでの騎乗が阪神競馬場だったことで実現。調整ルームの門限が午後9時とのことで、午後7時55分発走のメインレースが終わってから向かっても間に合う時間だった。
オープニング重賞「摂津盃」は田中学騎手が制す
 摂津盃は、向正面から一気に展開が動き、ともに中団を追走していた1番人気ホクセツサンデー、3番人気エーシンアガペーが3コーナーから3番手以下を突き放しての叩き合いは、今年僅差で兵庫リーディングを争う木村健騎手、田中学騎手の一騎打ちでもあった。最後はハンデ差が影響したかどうか、53.5キロのエーシンアガペーが、58.5キロのホクセツサンデーを2馬身半突き放してのゴール。このレース4連覇がかかっていた木村騎手は残念ながら2着だった。
間寛平さんと勝利の握手
 レース後、摂津盃のプレゼンターもつとめる間寛平さんが、1着の枠場におさまったエーシンアガペーに、「アガペー!オレは、かんぺーや」と声をかけて周囲の笑いを誘った。
 表彰式後の勝利騎手インタビューで田中騎手は、「初めてのナイターで、たくさんの皆様の応援が勇気を与えてくれて、感謝しています」と、来場したファンに対し、関係者を代表してお礼の言葉を述べた。


■新規ファンをいかに呼べるか

 この日の園田競馬場の入場は6700名。前々日の3065名、前日の2670名と比較すると倍以上の入場があり、ナイター競馬らしいぎわいを見せた。しかし初日はもっと入るのではないかと予想していた関係者も少なくなかったようだ。
 そして1日の売上げは1億8825万700円。前々日の1億7千万円余り、前日の1億6千万円余りと比較すると微増にとどまった。本場の売上げ8115万2300円は、前々日、前日の倍近くなのに対し、やはりウインズ神戸・難波、それに姫路競馬場での売上げ減が影響した。
 地元記者の話では、そのだ金曜ナイターのCMがつくられ、たしかにスカパー!の競馬中継などではさかんに流されていたが、予算の都合などもあったのだろう、地上波ではほとんど放映されることがなかったという。既存の競馬ファン以外への周知が足りなかったのではないかということを残念がっていた。
 ちなみに、2009年に「夜さ恋ナイター」がスタートした高知競馬でも当初は競馬ファン以外への周知が不足していて、その後にじわじわと売上げが上がってきたと聞く。そのだ金曜ナイターも、そうした可能性は十分に考えられる。
 今年予定されている、そのだ金曜ナイターは、11月9日まで10日間。競馬だけではない楽しみがたくさんあるナイター競馬だけに、新規ファンをどれだけ獲得できるかが、“そのきん”成功のカギを握ることになりそうだ。
 とはいえ、ようやくナイター開催の実現までたどり着いた競馬関係者にも、そしてこの日園田競馬場を訪れたファンにも、ほんとうに多くの笑顔があったことは印象的だった。