当コーナーでは、地方競馬に関するイベントや注目レース等の気になる話題を写真と共にご紹介します。

追悼・トウケイニセイ号

2012年04月23日
文:松尾康司
写真:岩手県競馬組合、いちかんぽ

 3月6日朝、馬っこパークいわての理事長・山手完嗣さんから電話が入った。しかし千歳空港から花巻へ向けて搭乗する直前。「すいませんが折り返しで電話します」と伝えた。
 用件は分からなかったが、山手さんから朝に連絡がくるのは非常に稀。一瞬、不安がよぎった。

 花巻空港へ到着して間もなく電話を入れると「トウケイニセイが今朝、亡くなりました。岩手大学の獣医学部に解剖をお願いしているので、詳しい死因は分かりません。ただ、私が駆けつけたときはまだ体温がありましたから、午前5時ぐらいだったと思います」
2011年9月、盛岡競馬場でファンに元気な姿を見せた。

 自分の耳を疑った。昨年9月、テシオ杯で『伝説の怪物トウケイニセイ、ORO初見参』を実施してパドックでお披露目。多くのファンが見守る中、現役時代をほうふつさせる気合いで周回し、とても24歳とは思えない元気な姿を見せてくれた。
 「もしかするとシンザンの長寿記録を塗り替えるのでは…」と本気で思った。

 その後も何度か馬っこパークを訪れたが、冬期間はずっとご無沙汰。今にして思えば非常に悔やまれる。

 トウケイニセイは43戦39勝2着3回3着1回の成績を残し、岩手競馬史上最強馬の名を欲しいままに惜しまれつつ引退。1996年から種牡馬生活に入り、2003年にピリオド。その後は母エースツバキの生まれ故郷でもあるえりも町で余生を送り、2009年から岩手県滝沢村の馬っこパークへ移動。トウケイニセイに会いにきたファンも少なくなかった。


 ところが昨年3月11日、悪夢の東日本大震災が発生し、宮古市在住のオーナーが津波被災。終生飼育が困難な状況に陥ったが、有志が立ち上がり『トウケイニセイ基金』を設立。全国から多くの支援金が寄せられた。

 前後して競馬ライターの石田敏徳さんが競馬週刊誌「ギャロップ」でトウケイニセイの記事を連載したいと打診が来た。あまりにもタイミングが良すぎて、これもトウケイニセイが引き合わせてくれたと思っている。

 後述するが、『トウケイニセイを偲ぶ会』で菅原勲騎手が別れの言葉をこう語った。「自分が騎手を引退する年に亡くなるなんて、運命的なものを感じる。調教師になった自分もずっと見守ってほしかった」

 私にしても重傷の屈腱炎で長期休養中だったトウケイニセイの飼い葉を何度かつけたことが今では自慢話になっているが、その後の出世物語と競馬記者生活が完全にダブり、いろいろなことを学ばせてくれた。
 もしトウケイニセイに出会わなかったら、これほど岩手競馬にのめり込むことができたかどうか。間違いなく「否」である。

93年みちのく大賞典(盛岡)

 3月18日、『トウケイニセイを偲ぶ会』が馬っこパークいわてを会場に、しめやかに行われ、約100名の方が出席してくださった。
 小西重征調教師夫妻、菅原勲騎手(現調教師)、現役時代に担当厩務員をつとめた福田秀夫調教師、休養時代に世話をした加藤ファーム代表・加藤敏男氏、IBCアナウンサー・加藤久智氏。オーナーの小野寺喜久男さんは病気療養中だったため、代理で息子さんが出席。ハロン元編集長・斉藤修さん、東京からわざわさ駆けつけてくれたファンもいた。

 あまりにも急だったが、これほど多くの人たちに見送られるトウケイニセイ。改めて偉大さを感じ、また幸せなヤツだと思った。

 ちなみに菅原勲新調教師、一番の思い出レースは初の県外遠征となった東北サラブレッド大賞典(新潟)。今でもレースVTRをネット等で観ることができるが、トウケイニセイの包囲網はきびしく終始インに包まれ、直線を向いても前が壁になる不利などが重なった。それでも勝利をもぎ取ってしまった。

 まだ若かった菅原勲騎手はレース直後、ちょっと青ざめた顔で「これで負けたらボクの責任。でもトウケイニセイなら、どんな競馬をしても勝てる自信を持ちました」
 後にGⅠジョッキーとなる菅原勲騎手をして「100%の信頼を置ける馬」との名ゼリフは、この瞬間に誕生した。

 トウケイニセイは腎臓結石などが遠因に、横隔膜破裂による呼吸不全が直接死因と診断された。心臓は馬っこパークで保存し、頭蓋骨と左前後肢の骨格は奥州市教育委員会の依頼により、奥州市前沢区にある奥州市牛の博物館で保管することになった。まだ時間を要するだろうが、いずれ同博物館で展示されるという。これも極めて異例のことだ。

 馬っこパーク代表・山手さんは今後について語る。「オーナーから贈呈されたトロフィー、優勝額、写真などは馬っこパークのクラブハウスで展示。劣化を防ぐため特製のガラスケースを作る予定です。今回、全国から基金が寄せられましたが、被災地の子供たちに乗馬などを体験する費用にあてたいと考えています。いかがなものでしょうか」


 偲ぶ会の最後に友人から送られたメールを読み上げた。ちょっと長いが、そのまま引用させていただく。

トウケイニセイ様

あなたを初めて見たのは私が高校生の頃。
脚に不安を抱えながらも、いつも力強い走りを見せてくれましたね。
進路のことや部活のことで悩んでいた自分に、本当にたくさんの勇気をいただきました。
大学進学で上京してからも、あなたが走るレースには、バイト代をはたいて夜行バスで駆けつけたものです。

あなたのレースはすべてが思い出深いですが、特に心に残っているのは、初めて表舞台に立ったみちのく大賞典と、ライブリマウントに屈した南部杯。
競馬で涙を流したのは後にも先にもこのときだけです。

昨年の夏に会えたのが最後になってしまいましたね。
本当にたくさんの思い出をありがとうございました。
天国で安らかにお眠り下さい。



トウケイニセイ   1987年5月21日生・牡
父:トウケイホープ 母:エースツバキ 母の父:Reform(英)
通算成績:43戦39勝
主な勝鞍:93,94年南部杯、93,94,95年東北サラブレッド大賞典など