宮下瞳騎手の引退に寄せて

2011年09月15日
憧れの瞳さん引退に寄せて
女王からひとりの女性に
文●赤見千尋
写真●牛山基康、NAR

引退セレモニーでの宮下騎手
 8月26日、名古屋競馬場で宮下瞳騎手の引退セレモニーが行われた。妊娠中ということもあり、レースに騎乗することはなかったものの、勝負服を纏って凛と佇む姿からは、戦いを終えた充実感が漂っていた。
 宮下騎手は、日本の女性騎手としての最多勝利数記録を更新し続け地方競馬で626勝、韓国でも56勝を挙げ、通算では682勝。また、NARグランプリ優秀女性騎手賞を8度も受賞し、レディースジョッキーズシリーズ(LJS)2007で総合優勝、2009年には韓国・釜山で行われたKRA国際女性騎手招待競走でも優勝するなど、輝かしい記録を残して16年間の騎手生活に幕を下ろした。


●騎手としての道しるべ

 私が初めて瞳さんに会ったのは、1997年の地方競馬教養センターだった。当時の私は騎手候補生で、デビュー3年目を迎えた瞳さんは、新人騎手研修を受けるためにセンターにやって来た。教官から、「宮下はすごい」といつも聞かされていた私にとって、瞳さんは憧れの存在。ドキドキしながら対面すると、小柄で可愛らしい顔には似合わないほど、鋭く光る瞳を持った人だった。
 まだ競馬サークルをよく知らなかった私に、騎手としての生活や、厩舎社会への対応を細かく話してくれて、女性騎手ならではの苦労や葛藤も教えてくれた。その時、とても印象的だったのが、名古屋競馬の関係者に電話で調教の指示を出していたこと。2泊3日の新人騎手研修のため、自分で調教ができないことをとても悔しがっていた瞳さんは、「あの馬はこう乗って欲しい。あの馬はここを気にしながらこう乗って欲しい」と、1頭1頭丁寧に話していた。電話が終わった後、「何頭攻め馬してるんですか?」と質問すると、「毎日20頭以上乗ってる。誰よりも早く起きて、誰よりも頑張っていれば、必ず認めてくれるから」。なにげなく口にした瞳さんの言葉は、私の中で騎手としての道しるべとなった。


●悔しい思いの女性騎手シリーズ

 瞳さんが女王と呼ばれるようになったのは、2005年に吉岡牧子元騎手の国内最多勝利数記録(350勝)を抜いてからだったと思う。初めてNARグランプリの優秀女性騎手賞を受賞したのはデビュー5年目の1999年で、その頃から毎年コンスタントに活躍していたものの、ようやく「女王」という称号を手に入れたのは、デビューから11年目のことだった。長い年月をかけて努力を積み重ね、日本一に上り詰めたのだ。
 でも、本人にとってはまだ足りないものがあった。「女性騎手シリーズで、優勝していない」という現実。中津で行われていた『卑弥呼杯』、新潟の『駒子賞』、そして荒尾の『全日本レディース招待』。1つのレースで勝利することはあっても、総合優勝をしていない。この事実は、周りが思うよりずっと、重くのしかかっていたように思う。2006年度から始まったLJSは、瞳さんにとってひとつの試練になった。
 女王として挑んだ、最初のLJS。第4戦で勝利しながらも、名古屋の最終ラウンドで勝つことができず、総合4位という成績だった。地元で迎えた初めての女性騎手競走だっただけに、周りの期待と、女王としてのプレッシャーは計り知れなかったと思う。そんな中、優勝したのは、同じ名古屋所属の山本茜騎手。2005年10月のデビューから1年余りの瞬く間に勝利を積み重ね、名古屋ラウンドで2勝を挙げてLJS初代女王に輝いた。瞳さんは後輩の活躍を喜び、最終戦後には笑顔を見せていたけれど、その目には悔しさが滲んでいた。
00年卑弥呼杯 写真左端(白帽)が宮下騎手、
右端(桃帽)は筆者の赤見千尋元騎手
01年駒子賞(騎手紹介)


●LJS優勝で、真の女王に

 騎手にはいろんなタイプがいるけれど、瞳さんは気持ちで乗るタイプだと思う。一緒にレースに乗っていると、たとえ自分より後ろにいても、瞳さんがどこにいるかだいたいわかる。それくらいの闘志と存在感を、瞳さんは常に放っていた。逃げるといったら何が何でも逃げるし、追い比べになった時の「絶対負けない」という気迫は怖いくらいだった。
 第2回(2007年)のLJSで見せた瞳さんの闘志は、それまでの悔しさがあったからこそ、いつも以上の熱さを放っていた。第3・4戦の荒尾ラウンドをトップで通過し、迎えた浦和の最終ラウンド。第5戦で9着となり、総合順位を2位に下げてしまった。最終戦、勝たなければ優勝は確実ではないという条件の中、2番手につけて冷静に仕掛けどころを見極め、最後の直線は逃げる平山真希騎手との一騎打ち。「勝ちたい」という気持ちがほとばしる激しい叩き合いを演じ、クビ差で勝利を掴んだ。
 「重賞を勝った時よりも、国内最多勝を更新した時よりも、何よりも一番嬉しい!」。初めての総合優勝に、弾けるような笑顔を見せた。重圧から解放されたような、軽やかで、朗らかな笑顔。誰もが女王と認めていたものの、唯一自分自身だけは認められずにいたのだ。LJS総合優勝を果たした瞳さんは、自他共に認める、真の女王になった。
2007年LJS最終戦
LJS総合優勝を笑顔で喜ぶ


●最初で最後のガッツポーズ

騎手人生初のガッツポーズが飛び出したKRA国際女性騎手招待
 16年の騎手生活の中で大きな転機となったのが、2009年8月に韓国・釜山競馬場で行われた、KRA国際女性騎手招待競走。4コーナーを回り切るまで最後方にいた瞳さんは、直線で豪快に追い込んで優勝。競馬人生初のガッツポーズまで飛び出した。
 小回りで先行有利な名古屋や笠松のコースで騎乗することが多い瞳さんにとって、直線一気のごぼう抜きというのはなかなかできない経験。これまでは、いかにいい位置を取るかということが求められたのに対して、直線約460メートルの釜山競馬場では、いかに最後まで力を溜めておけるかが求められる。今までとは違ったレースの面白さを発見し、その年の10月から短期免許を取得して再び釜山に渡った。
 約1年半の釜山遠征で56勝を挙げ、現地のファンからも愛されていた瞳さん。
 遠征中、2度ほど取材に行ったが、その表情が日本にいる時と全然違っていることに驚いた。「競馬を心から楽しんでいる」という雰囲気で、見ているこちらもとても楽しい気分になった。釜山では、女王でも、宮下瞳でもない。これまで積み重ねたものが何もなく、ゼロからのスタート。いち騎手、「ヒトミ」(韓国での登録名)として、思う存分ひとつひとつのレースを満喫し、眩しいくらいの笑顔を見せていた。はっきりと聞いたわけではないけれど、この頃から騎手としての去就を考え始めていたのかもしれない。だからこそ、純粋にレースを楽しむことができたんじゃないかと思っている。


●感謝の気持ちを忘れずに

 瞳さんにインタビューすると、必ず感謝の気持ちを口にする。ファンに対して、周りの関係者に対して、所属の竹口勝利調教師に対して、そして、夫である小山信行騎手に対して。長い間の恋人同士の関係から、2005年に入籍した小山騎手とは、すでに人生の半分近くを共に過ごしている。勝負の世界に身を置くもの同士、ライバル関係でもあるけれど、「やりたいようにやればいい」といつも言ってくれる、一番の理解者でもある。騎手として頑張り続けられたことも、約1年半も釜山で騎乗できたことも、すべて小山騎手のおかげなんだと瞳さんは言う。
 引退セレモニーで、「これからは勝負の世界ではなく、ひとりの女性として頑張りたいです。今まで支えてくれた小山騎手を、今度は私が支えていきたい」と語った時の表情は、女王・宮下瞳でも、釜山でのヒトミでもない――小山瞳というひとりの女性の、穏やかな笑顔だった。
関係者への感謝を述べる宮下騎手(引退記者会見にて)
師匠の竹口調教師と握手(引退記者会見にて)
ご主人の小山騎手と(引退セレモニーにて)
大勢の騎手仲間に見送られる(引退セレモニーにて)



宮下 瞳 −みやした ひとみ−
  (愛知・竹口勝利厩舎)
1977年5月31日生まれ 鹿児島県出身
初出走/1995年10月22日 名古屋競馬第1レース
      (オブラディオブラダ、9着)
初勝利/1995年10月24日 名古屋競馬第6レース
      (ショウワミラクル、7戦目)
地方通算成績/7,795戦626勝(他に韓国662戦56勝)
主な勝ち鞍/2002年クリスタルカップ(ヘイセイチェッカー)
受賞歴/NARグランプリ優秀女性騎手賞
      (99、00、01、03、04、05、06、08)