南関東競馬再開

2011年04月14日
 2011年3月11日午後2時46分に起きた東日本大震災は、罪のない多くの人たちから普通の生活を奪いました。あの日を境に、日本全体が変わってしまったと言っても過言ではありません。

 お亡くなりになられた方々には心からお悔やみを申し上げます。そして、被災者すべての皆様に心よりお見舞いを申し上げます。




 あの日、南関東競馬は大井開催の最終日で、8レースに組まれていた若手騎手によるユースフルステッキ賞の本馬場入場時でした。パドックからL−WING内を通り、返し馬の様子を撮影に行こうと歩いていた私に、ガタガタガタとものすごい音が聞こえてきました。風が強いんだな、最初はそんな感覚しかありませんでしたが、その音がさらに激しくなると真っ直ぐ歩くことも困難になり、L−WINGを見上げると、これまで見たことがないほどに翼の部分がうねっていました。

 騎乗していた騎手の話しでは、馬に乗っていると揺れは全く気づかなかったそうで、L−WINGの翼の揺れの音に馬たちが敏感に察したことから、地震ということがわかったそうです。

 その後も何度か強い余震が続き、9レースの確定をもって、10レースから中止となりました。

地震当日の開催中止のお知らせ(大井)
 それから南関東競馬は、競馬再開まで先の見えない長いトンネルに入りました。




 南関東競馬の所属馬も関係者もこの地震で命に別条がなかったことは不幸中の幸いでしたが、馬場に一番被害が出たのは被災県にあたる千葉県の船橋競馬場。馬場には複数の箇所に液状化現象や亀裂が発生し、海岸厩舎地区(スタンドから反対側の厩舎地区)の一部にも液状化が生じました。地震当日には、予定していた3月14日から18日までの船橋開催は、馬場が使用不能になったために全日程の中止が発表。(ダイオライト記念JpnUは5月2日に変更)

船橋競馬場の馬場も被害
 当初は馬場が使えるようになるまでにはかなりの時間を要するのではと懸念されていましたが、関係者の懸命な努力で本馬場の補修工事を急ピッチで行い、17日には本馬場と角馬場の工事が完了しました。(内馬場は4月14日現在も工事中)

 工事期間は、大井競馬場や小林牧場、川崎競馬場の好意で馬場の貸し出しを行ったため、船橋から毎朝輸送をして調教をする馬や近隣の育成牧場に移動する馬たちもいました。




 しかし、南関東での競馬開催は別問題。南関東4競馬場とも社会情勢や計画停電の影響(大井競馬場以外は計画停電区域)で安定的な競馬施行に支障を生じる恐れがあることから、その後も浦和開催、大井開催、船橋開催と中止が発表されました。

 南関東牝馬クラシック1冠目の桜花賞は57回目にして初めて中止。どのレースも中止になるのはつらいことですが、クラシックという3歳牝馬にとって一生に一度の舞台がなくなってしまったのは、関係者にとってもいちファンにとっても残念としか言いようがありません。

 厩舎地区に行ってみると、これまでの活気はすっかり消えていました。「いつ競馬が始まるんだろう」「地震で大変なことはわかるけど、俺たちもどうなるんだろう」そんな言葉が口々に聞かれて、どんよりした空気に包まれていました。そして、いつレースがあるかわからない中での目標を立てられない調教は、関係者もかなり大変だったようです。

 ベテランの厩舎関係者に聞くと、昭和46年から47年にかけての馬インフルエンザのときは、南関東でも約3カ月競馬がなかったそうで、競馬開催がこんなに空いたのはそれ以来とのこと。しかし、その当時は全国的に中止になり、全ての馬たちが調教をせずに馬房の中で過ごしていたそうで、その当時と今回では意味合いが全く違います。

 競馬開催がない中でも預託料を払ってそのまま愛馬を置いて下さっていた馬主さんたちもたくさんいらっしゃいましたが、他場に移籍をしたり、そのまま引退してしまった馬たちも多くいました(その後、平成23年度南関東4競馬場の競馬番組に記載する取得賞金額を満たしていない場合でも、再転入を認める特別措置が取られています)。

 一般社会では「こんな時に競馬?」と思う方がいらっしゃるのも十分に承知はしています。戦後最大の危機を迎え、苦しい状況に置かれているのは競馬業界だけではなく、さまざまな職業の皆さんが冷え切って痛みを分け合っている現状ですから。

 しかし、競馬にかかわるすべての人たちがそうであるように、南関東4競馬場の関係者も、競馬しかありません。競馬という仕事を通して、被災者の皆さんのお力になりたい……。しかし、それ以前に、まずは自分たちに元気が戻らないことには、何もできないんです。

 そういう中で、南関東4競馬場とも今できることをしようという考えから、それぞれの主要駅で東日本大震災の募金活動を積極的に行ったり、大井競馬場ではチャリティーを実施し、大井関係者の他にも3場の騎手たちも応援に駆けつけて、南関東競馬一丸となって被災地支援をさせて頂くために取り組んできました。

 それぞれで見せてきた競馬関係者の表情は、戦いの場で見せる厳しい表情から一変し、優しさや思いやりがあふれていたように思います。

大井チャリティーの模様


 そして、4月5日に南関東4競馬場が合同で、競馬開催の再開を発表。復興支援競馬としての開催、募金やチャリティー活動の実施。計画停電などの社会情勢を考慮して、可能な限りの電力消費量の少ない方法などを考慮することを示しました。

4月12日(火)〜15日(金) 川崎競馬(昼間開催)
4月18日(月)〜22日(金) 大井競馬(昼間開催)
4月25日(月)〜29日(金) 浦和競馬(昼間開催)
5月 2日(月)〜 6日(金) 船橋競馬(昼間開催)

この川崎開催の内容や対策などは以下の通りです。

<被災地支援の内容>
○開催の総売上げ金の1%を義援金へ。
○神奈川県馬主協会から500万円の義援金を提供。神奈川県調教師会や神奈川県騎手会も1出走ごとに義援金を拠出など協力。
○川崎競馬所属騎手および南関東各競馬場騎手有志による場内での募金活動。

<節電などの対応>
○ナイター開催をやめ、昼間開催として実施。
○開催日数の削減(5日⇒4日)、レース数の削減(51レース⇒36レース)、レース間隔を最大限短縮。
○川崎在厩馬中心の競馬番組(羽田盃トライアルレースのクラウンカップ以外)とし、出走馬の輸送用燃料を削減。
○使用するスタンドやフロアを最小限の施設に限定。
○ドリームビジョンの使用中止(着順表示のみ)。





開門を待つファンの様子

 南関東競馬では4月12日の川崎開催から再開しました。この期間の川崎開催はそもそもが空いていたために、南関東で唯一中止がありませんでした。しかし、「やっとだね」「長かったね」という言葉が、この日の挨拶代りだったような気がします。
 大井競馬の塚田修開催執務委員長の姿もあり、「他場のことでも、競馬が始まるっていうのがうれしいよ」とニッコリ。


騎手が黙とう

 1レースパドックの騎手整列時には関係者たちが集まり、場内のお客さんとともに犠牲者の皆様に哀悼の意を表し、黙とうを捧げました。


川崎名物コスプレ誘導馬もシックな装い

 関係者は喪章をつけ、川崎名物コスプレ誘導馬たちもシンプルな装い。


今野騎手会長のあいさつ

 本馬場入場後には関係者の挨拶があり、神奈川県騎手会 今野忠成会長は「今でも被災地は大変厳しい状況ではありますが、競馬を通じて、私たちひとりひとりができることは精一杯のプレイをすることだと思っています。笑顔・元気を一日でも早く取り戻してもらえるよう、川崎所属騎手一同は思いをひとつにして、これからも頑張ってまいりますのでご声援をよろしくお願いします」と、ひとつひとつの言葉を大切に噛みしめていました。

 「ドキドキしちゃうよね。これまで何10年もやってきたのに、いつもと違う気持ちだよ」と神奈川県調教師会山崎尋美会長。

 〜ファンファーレ、ゲートが開く音、人馬一体となった姿、馬たちの蹄音、まい上がる砂煙、実況放送、お客さんたちの歓声〜 南関東競馬から消えていた何もかもすべてが、懐かしく、新鮮で、何とも言えない気持ちがこみ上げてきました。

南関東競馬もレース再開

 1レースを優勝したのは、真島大輔騎手が騎乗した3番人気のエングン(川崎・佐々木仁厩舎)。

 活発に続く余震活動、そして夏場に懸念される原発問題による電力不足など、予想もつかないような困難がまだまだ待ち受けていますが、まずは長いトンネルから抜け出しました。





 2011年4月12日、南関東競馬の再開。ごくありふれた日常が、実は本当にありがたくて幸せだったということ……。この1ヶ月抱き続けたこの気持ちは、南関東競馬にかかわるすべての人たちが、これからも絶対に忘れてはならないことだと思います。

文●高橋華代子
写真●高橋華代子、船橋競馬、NAR