この夢のような舞台が用意されたという連絡が日本に届いたのは、わずか2ヵ月前とのこと。釜山慶南競馬場の担当者ですら「突然の企画でした」と語るほどの慌しさで準備が進められたが、それでもどうにか実現させてしまうのが韓国のお国柄でもある。前述の日本代表3人をはじめとして、アメリカ代表のジェニファー・スタイステッド騎手、アイルランド代表のキャサリン・ギャノン騎手、南アフリカ共和国代表のネイディン・ラプソン騎手、オーストラリア代表のリンダ・ミーチ騎手、ローラ・チェシア騎手という総勢8人の外国人女性騎手が参戦する本格的な世界大会として行われた。そもそも、この競走が企画された理由は、地元の韓国でも女性騎手が活躍しているから。サラブレッド競馬の6人の現役女性騎手のうち、休養中の2人と今年デビューの新人を除く3人、イ・エリ騎手、パク・チニ騎手、ユ・ミラ騎手が参戦した。当初、韓国の女性騎手の代名詞的存在であるイ・シニョン騎手も参戦すると発表されていたが、肩の故障の回復が間に合わずに欠場となり、日本代表の補欠だった岩永騎手が追加で招待されることになった。これが決定したのも開催まで1ヵ月を切ってから。なんとも韓国らしい臨機応変な対応だ。
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舞台となった釜山慶南競馬場を紹介しておこう。05年9月30日に開場した韓国で最も新しい競馬場で、釜山慶南競馬公園(プサン・キョンナム・キョンマ・コンウォン)という正式名称からも分かるように、競馬場施設だけでなく、家族が一日中遊べるように遊具なども数多く設置。公園施設については、今もなお、拡張工事が行われている。場所は、釜山広域市の江西区と慶尚南道の金海市。両市に位置するため、このような正式名称になっている。事務所や厩舎地区がある3、4コーナー側は釜山市だが、スタンドや入場門がある1、2コーナー側は金海市。それぞれの自治体に税収があるように市境が引き直され、敷地面積は両市に対して均等に分けられているというから驚きだ。馬場は、外回り1周2000m、内回り1周1470mのダート専用。最後の直線は、ゴールまで450mもある。国際女性騎手招待競走が行われる1600mの発走地点は、2コーナー奥のポケット。3コーナーまで655mあるバックストレッチを使っての各騎手の駆け引きも見ものだ。週2日、金曜日と日曜日に競馬が開催され、毎年7月下旬から8月上旬にかけてはナイトレースとなる。同じサラブレッド競馬を開催しているソウル競馬場に比べると在厩頭数が少なく、交流競走以外で人馬の遠征ができないこともあり、ソウル競馬場との同日開催となる日曜日は、現在のところ全6競走しか行われていない。国際女性騎手招待競走は、その日の準メイン競走となる第3競走に組まれた。
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出場する外国人騎手たちは、8月5日に韓国に入国した。騎乗馬の調教騎乗、世界遺産にも指定された古都の慶州を観光するなど、かなりハードなスケジュールをこなし、7日には1人を除いて釜山慶南競馬場の実戦も経験した。8日に釜山市の海雲台にあるヌリマルという施設でレセプションが行われ、9日のレース当日を迎えた。
第2競走が終了すると、スタンド正面にあるステージで、すぐさま紹介セレモニーがスタート。向かって左からオーストラリア、アイルランド、日本、韓国、南アフリカ、アメリカの順に代表騎手が整列し、各国から1人が挨拶をした。日本は宮下騎手。初々しくも見事な発音の「アンニョンハセヨ」という第一声に、周辺の観客からは「オーッ」という歓声が上がった。その声援は、次に挨拶した韓国のイ騎手と甲乙つけがたいほどの大きさ。一瞬にして韓国にもファンを増やしたようだ。そして、紹介セレモニーを終えた騎手たちは、なんと観客の中を歩いて騎手控え室へ。この辺の大らかさは、釜山慶南競馬場ならではといえよう。
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パドックでの声援もいつも以上に大きかったようだ。筆者の隣りにいた職員からも「今日はパドックにお客さんが多いなぁ」という声。大半をソウルを中心とした首都圏の場外発売に依存している馬券の売り上げには直結しなかったが、本場の盛り上がりは、それを微塵も感じさせなかった。かなり緊張した様子の別府騎手が日本代表の先頭で周回。直後の岩永騎手、最後尾の宮下騎手は笑顔を見せる余裕もあった。
この国際女性騎手招待競走は、番組的には当初から予定されていた外国産混合の最上級による1600mの一般戦で、そこに女性騎手が騎乗したというもの。ともすれば明らかに力の抜けた馬が出走してもおかしくなかったが、これが絶妙なハンデ差もあり、単勝の人気こそ上位の2頭に集中したが、多くの馬にチャンスがありそうなメンバーとなった。
単勝1.8倍の1番人気に支持されたのは、釜山慶南競馬場所属のパク騎手が騎乗したナムドジェアプ。春の韓国産3歳馬による2冠をいずれも逃げて2着というスピードのある牡馬で、出走馬で唯一の韓国産馬ながら、前走で韓国産限定ではなく外国産混合を勝ち上がってきたことが評価されたようだ。もちろん、地元のパク騎手の人気もあったに違いない。ただ、馬齢重量では外国産混合競走に出走する韓国産馬には2kgの減量があるが、それを加味すると3歳馬に54kgのハンデは微妙な数字でもあった。
これに4.0倍の2番人気で続いたのが、オーストラリア代表のチェシア騎手が騎乗したミスエクトン。アメリカ産の牝4歳馬で、6戦連続3着以内という安定感が評価されたのだろう。前々走で同条件を勝利しているが、この時のハンデが54.5kgだけに、ここは初めて背負う58kgがどうかだった。
日本代表の3人では、日本産馬のトンバンゴナに騎乗した別府騎手が11.9倍の4番人気で最上位人気。アメリカ産馬のアイマファイアクラッカーに騎乗した宮下騎手が差なく13.9倍の6番人気で続き、オーストラリア産馬のオルマクに騎乗した岩永騎手は38.9倍の8番人気だったが、牡馬では最軽量の52kgというハンデに望みがあった。
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長い直線での叩き合い (右から2人目が岩永騎手、4人目が宮下騎手) |
ダッシュよく飛び出したのはマックスイズクルージンのミーチ騎手だったが、最内からナムドジェアプのパク騎手が逃げる展開。トンバンゴナの別府騎手とフロリダネイティヴのスタイステッド騎手が追いかけた。少し離れた4番手からカンチョルナビのギャノン騎手が徐々に上昇し、オルマクの岩永騎手がそれを見る内の5番手。その外に前述のミーチ騎手が控えて、ミスエクトンのチェシア騎手、ヨンウォナンヘンボクのラプソン騎手も差なく続き、8頭がほぼ一団で3コーナーへ突入。ウィンターインヴィテーションのイ騎手は9番手ですでに手応えが怪しく、10番手にいたディエムマーチのユ騎手も気合いを入れながらの追走。最後方にいたアイマファイアクラッカーの宮下騎手は、4コーナーに差しかかるあたりでようやく上昇を開始した。
快調に飛ばすパク騎手。58kgを背負い離されたくない別府騎手は2番手をキープしていたが、直線に入ろうかというところで外からミーチ騎手に並ばれると馬がひるんでしまったのか後退。最後はパク騎手とミーチ騎手の叩き合いになるかと思われた。だが、長い長い釜山慶南競馬場の直線。ドラマはまだ始まったばかりだった。残り1ハロンでパク騎手がミーチ騎手を振り切ると、今度はミーチ騎手の背後に岩永騎手が迫ってきた。ところが、さらにその後ろからチェシア騎手と宮下騎手が追い込んでくる。内のパク騎手か、外の4騎手かという争いは、最後の最後でパク騎手が完全に失速。最後方から追い込んだ宮下騎手の勢いが勝り、2着のチェシア騎手に1馬身差をつけてゴールした。
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まさに直線一気。思わず右手が上がったという宮下騎手は、優勝の感想を聞かれると「めっちゃうれしい! 最高です!」と興奮気味に繰り返した。「先生(キム・ナムジュン調教師)が、最後方から行って差し脚を生かすようにと言っていたので、その通りに乗りました。4コーナーで前との距離がかなりあったので、最後まで勝てるとは思いませんでした」と騎手人生で初めてというガッツポーズでのゴールを振り返る。表彰式では再び見事な発音で「カムサハムニダ!」と挨拶し、拍手と歓声に包まれた。
一方、3着の岩永騎手は「悔しいですね。ゲートも良くて、位置取りも良かったのですが、直線で追い出すところで、ちょっと反省点があって…。馬にまだ力があっただけに未熟さを感じました」。表彰式でのインタビューには気丈にも笑顔で答えていたが、自分の騎乗には納得していない様子だった。最後は「もっと頑張って、絶対にまた来れるようにしたいです」と再挑戦を誓った。
悔しがっていたのは別府騎手も同じだ。引き上げてきた直後は「難しいですね。行けなかったら2番手の外でという指示だったのですが…。(2番手に)行ったのはいいんですけど、やっぱり前に行くとしんどいですね」と肩を落とした。やがて控え室から戻ると「レディースジョッキーズシリーズではこんなに印のつく馬に乗ったことがなかったですからね。今日は自分に負けました」と反省。「悔しいので、ここ(韓国)の競馬を勉強しに来ます!」と遠征宣言まで飛び出した。
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1番人気で5着に敗れたパク騎手は「韓国産馬がここに入るとちょっと厳しいですからね。ペースもちょっと速かったかな」とコメント。それを追いかけてしまった別府騎手は「地元の騎手が逃げているので速くないのかと思ってしまった」という。結果的にはそのハイペースが宮下騎手の勝利に貢献したのだから、なんとも複雑だ。今回は1戦だけの勝負だったが、人気を背負った騎手には、それもさらなるプレッシャーになったに違いない。釜山慶南競馬場の開催形態を考えると、数戦を争うポイント制の導入は難しいかもしれないが、来年以降のより一層の発展を期待したいものだ。
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取材・文:牛山基康
写真:牛山基康、NAR |