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”短期集中連載” 【地方競馬所属騎手の韓国遠征記録】
「第2回 先駆者として活躍した倉兼育康騎手」
2013年04月30日
取材・文・写真●牛山基康2007年に期間限定免許による外国人騎手の受け入れを正式に開始した韓国。隣国という地理的な好条件に加えて、行われているのがダート競馬ということもあり、いまや地方競馬所属騎手の海外遠征先としてすっかり定着している。地方競馬所属騎手の韓国での活躍ぶりをお伝えするこの連載。第2回は、地方競馬所属騎手が韓国遠征を続けるきっかけとなった倉兼育康騎手の遠征初期を中心に振り返る。
世界に告知された外国人募集
新たに開場したプサンキョンナム競馬場で2005年から試験的に導入された外国人騎手の受け入れは、2007年からソウル競馬場で本格的に行われることになった。韓国馬事会から主要競馬開催国に向けて発信された外国人騎手の募集の告知は、日本の地方競馬全国協会にも届き、各競馬場に伝えられた。これに何人かの騎手が興味を示した。2008年にプサンキョンナム競馬場に遠征することになる渡瀬和幸騎手、西村栄喜騎手も、この時点ではソウル競馬場への遠征を考えていたという。だが、それぞれに遠征に踏み切れない理由があった。「ちょうどイブキオトヒメがいたこともあって、すぐには申し込まなかったんです」という渡瀬騎手は、自身が騎乗して20戦17勝、サマークイーン賞2着2回というお手馬を手放せず、「行ってみたいと思いましたが、そのころ親方(福島幸広調教師)が骨折していて厩舎が大変だったので」という西村騎手は、申し込める状況になかった。
遠征当初はスタートのタイミングが合わずに苦戦したという |
当時は騎乗前に整列していた |
最初に遠征を決めた倉兼騎手
だが、どうしても早く行きたいという騎手がいた。真っ先に遠征を実現させた倉兼育康騎手だ。「行くからには、とにかく最初に行きたかったですね。誰かが先に来ていたら、僕なんかじゃなかなか乗せてもらえなかっただろうし。でも、しょっぱなだったんで大変でした。英語の通訳しかいなかったですからね」。外国人騎手を募集するにあたり、韓国馬事会では宿舎と通訳を用意した。当時の競馬施行計画によると、その目的として『競走の質を高め、関係者の資質向上を図る』とある。単なる門戸開放ではないので、外国人騎手に対するサポートがうたわれていたのだが、通訳については英語以外は用意できないとのことだった。倉兼騎手は、英語から日本語への通訳を兼ねたマネージャーを伴って遠征したが、さすがに2段階の通訳には無理が生じてきた。その後、現地で日本語の通訳を探したが、やがて、その通訳も外した。倉兼騎手が韓国での生活に慣れたことに加えて、最初からついていた英語の通訳が、少しずつ日本語も覚えていってくれたからだ。もっとも、韓国での生活に慣れたのには、約1ヵ月遅れでオーストラリアから遠征してきた富沢希騎手の存在も大きかった。当初は3ヵ月だった免許期間の延長が認められた倉兼騎手は、気の合う富沢騎手とともに、その後も延長を繰り返すまでになった。
遠征初年度の2007年は7月からの騎乗で282戦22勝(写真は10月14日5R)
フリー騎手として存在を確立
言葉の壁がありながらも実力で騎乗馬を増やしていった倉兼騎手。先駆者としての利もあったが、先駆者ならではの苦労は、通訳の問題だけではなかったようだ。「『日本に行ったときにお世話になったから』といって乗せてくれる調教師もいましたが、『日本人を乗せるのはどうなんやろ』という人もいましたしね。とりあえず、後から来る人のためにも『もう日本人は来んでええ』ということにならなくて良かったですよ」。この2007年からフリー騎手制度が導入され、外国人騎手も厩舎に所属しないフリー騎手として活動することになっていた。当初は来日経験がある騎手出身の調教師などから声がかかったが、必ずしも日本人に対して好意的な人たちばかりではなかったようだ。なかには突然、依頼が来なくなる調教師もいたそうだが、そうなると別の調教師から依頼されるようになったという。フリー騎手として、その存在を確立するまでになっていた。
軽いケガでも大事をとる韓国の騎手からの乗り替わりも多く、逆に少々の落馬なら乗り続けてしまう倉兼騎手は、直前の競走で落馬しながらもリステッド競走の農協中央会長杯を制するなど、そのタフさでも一目置かれた。結局、7月8日から騎乗した2007年は、年末までに282戦22勝。騎乗数は下半期に限ると最多となった。
偶然が偶然を呼んだ内田騎手
韓国の免許期間を延長した倉兼騎手は、日本の騎手免許を更新するため、2008年2月に高知へ一時帰国した。そこに福山での期間限定騎乗を終えた内田利雄騎手が現れた。高知には1週間のスポット参戦だった。内田騎手は「(次の遠征地の)マカオに出すクリアランスをもらいに地全協に行ったときだったと思いますが、そこでソウルの募集を知ったんですね。これはいいと思ったのですが、年齢が40歳まで。どうにかならないかなと思いまして」と振り返る。当時のソウル競馬場の募集要項には25歳以上、40歳以下という年齢制限があった。これをクリアする方法はないものか。46歳の内田騎手から連絡を受けた倉兼騎手は「それなら僕よりも詳しい人が来ますから、と伝えておきました」。韓国に取材に行く途中、一時帰国中の倉兼騎手に高知で会う約束をしていた筆者は、その後、プサンに向かう予定だった。プサンキョンナム競馬場ならどうだろうか。年齢について問い合わせると、23歳以上で上限はないという。オーストラリアの騎手が帰国したばかりの同競馬場では、新たな外国人騎手の募集をまだ告知していなかった。年齢に上限がないことを内田騎手に伝えてプサンに向かい、担当者に内田騎手の成績などを伝えると、「それほどの方が来てくださるなら、日本語の通訳を準備します」と歓迎ムード。年齢だけでなく、一気に言葉の壁もクリアできてしまった。内田騎手は「日本語の通訳はありがたかったですね。しかも、女性でお願いしますと頼んでみたら、それも通ってしまいましたからね(笑)」。偶然が偶然を呼んで決まった内田騎手の韓国遠征。その後にプサンで巻き起こったピンクの大旋風は、倉兼騎手の一時帰国がきっかけだった。(つづく)
一時帰国した倉兼騎手とスポット参戦した内田騎手が高知競馬場で騎乗(2008年2月10日)
地方競馬所属騎手の韓国遠征成績(年度別)
騎手名(所属) | 成績 | 騎乗期間 | 所属場 |
2007年 | |||
倉兼育康(高知) | 282戦22勝 | 7月8日~12月30日 | ソウル |
農協中央会長杯(L)1着、SBS杯(L)2着
大統領杯(G1)8着、コリアンオークス(G2)着外※、 KRAカップ・クラシック(G3)12着、ヘラルド経済杯(L)9着、 YTN杯(L)10着、文化日報杯(L)14着 |
※タイムオーバー(韓国では失格扱い)
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