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”短期集中連載” 【地方競馬所属騎手の韓国遠征記録】
「第4回 西村騎手の重賞制覇と宮下騎手の活躍」

2013年06月28日
取材・文・写真●牛山基康

 2007年に期間限定免許による外国人騎手の受け入れを正式に開始した韓国。隣国という地理的な好条件に加えて、行われているのがダート競馬ということもあり、いまや地方競馬所属騎手の海外遠征先としてすっかり定着している。地方競馬所属騎手の韓国での活躍ぶりをお伝えするこの連載。第4回は、グレード競走を制した西村栄喜騎手、国際女性騎手招待を優勝した宮下瞳騎手らが新たに活躍した2009、2010年を振り返る。

快進撃で記録も達成した倉兼騎手
2009年はプサンで騎乗した倉兼騎手は4ヵ月で191戦40勝の快進撃
 「プサンの調教師はソウルでの騎乗を見ていたでしょうからね。どういう乗り方をするか分かってくれていたんで、いい馬にたくさん乗せてもらいました。MVPは狙っていました」と語るのは、2008年12月までソウル競馬場で騎乗していた倉兼育康騎手。免許期間の延長に合わせてプサンキョンナム競馬場に移籍した2009年は、4月26日までの4ヵ月で191戦40勝という快進撃で、3月27日には日韓通算1000勝、4月17日には韓国通算100勝を達成した。また、当時は四半期ごとに騎手、調教師のMVPを選出して表彰する制度があり、1~3月期のMVPにも選ばれている。ソウルに比べて競走数の少ないプサンにいながら、ソウルのトップを上回るハイペースで勝ちまくった倉兼騎手は、韓国での通算成績を1056戦106勝に伸ばして帰国。1年10ヵ月に及んだ遠征を記録ラッシュで締めくくった。



大仕事をやってのけた西村騎手
プサン名物の電動カートで引き揚げる倉兼騎手と西村騎手
 遠征から3ヵ月。思うように騎乗数が増えない西村栄喜騎手だったが、年が明けた2009年1月に転機が訪れた。「乗る馬いないですかって聞きまくっていたら、あるとき、厩務員さんがこれに乗れっていってくれたんです。それがサンスンイルロでした」。デビュー戦で3着した同馬は、2戦目から西村騎手が手綱を取ると2、1、1着。調教もほとんどを西村騎手が担当して結果を出した。ところが、あと1勝すれば3冠路線も狙えるというところで騎乗停止。だが、代打騎乗を頼める気心の知れた騎手がいた。「自分が乗れないときに倉兼がいてくれたんですよ」。プサンキョンナム競馬場に移籍してきた倉兼騎手は同い年。課程は違うが地方競馬教養センターでも同時期を過ごした旧知の仲だった。ある意味、これも西村騎手の強運なのだろう。倉兼騎手で3勝目を挙げたサンスンイルロは、前年から3冠の1冠目となった4月5日のKRAカップ・マイルに出走。再び同馬を駆った西村騎手は、韓国における日本人騎手のグレード競走初制覇をやってのけた。
 この活躍で存在感を増した西村騎手は、騎乗数も飛躍的に増加した。この年は11月29日までの騎乗で347戦44勝。最終的には1年2ヵ月で392戦48勝の成績を残して最初の韓国遠征を終えた。


西村騎手は調教を任されたサンスンイルロを駆りKRAカップ・マイルを制覇した



騎手人生に花を添えた宮下騎手
 2009年8月9日、プサンキョンナム競馬場では国際女性騎手招待が行われた。日本代表として宮下瞳騎手、別府真衣騎手、岩永千明騎手が参戦。韓国で行われた国際騎手招待に12年ぶりに地方競馬所属騎手が招待されたこのビッグイベントは、最後方から追い込んだ宮下騎手が見事に差し切って優勝した。「うれしかったですね。あれで競馬が楽しいと思えました。帰って内田さんに(プサンのことを)聞いて、行った方がいいと言われて、すぐに申し込みました」という宮下騎手は、10月9日には早くも期間限定免許での初戦を迎えていた。この年は約3ヵ月で109戦13勝を記録すると、グランプリの騎乗依頼を受けてソウル競馬場にも遠征。グランプリは4着だったが、エキストラ騎乗で1勝を挙げた。韓国に遠征した地方競馬所属騎手が韓国での所属場以外で勝利したのは、いまだに宮下騎手のこの1勝だけだ。
国際女性騎手招待に参戦した宮下騎手は最後方から追い込みを決めてガッツポーズ
 免許期間を延長しながら年間を通して騎乗した2010年は、プサンキョンナム競馬場の所属騎手では最多騎乗となる445戦40勝。同競馬場のリーディング5位に相当する活躍だった。「うれしいことだけでなく、つらいことまでいろいろ経験しましたが、行って良かったなって思いますね。言葉がわからなくてもプサンで友達もできましたし」。最終的には2011年4月3日まで騎乗。2011年の数字は106戦2勝だが、期間限定免許での成績は約1年半の騎乗で660戦55勝になっていた。そして、帰国後は日本で騎乗することなく、この韓国遠征が現役最後の騎乗となった。「もう騎手はいいかなと思って辞めたんじゃなくて、韓国に行って、騎手をやっていて良かったと思って騎手を辞められたことが良かったですね」という宮下騎手。日本で数々の記録を塗り替えてきた女性騎手の第一人者は、最後に韓国で強烈な輝きを放ち、そのまま鞭を置いた。

不本意ながらも貴重な経験
 「マカオやシンガポールは(愛知から)行った人がいたので、どうせなら誰も知らないところに行ってみようと思って決めました」といってソウル競馬場に遠征したのは加藤利征騎手。6月27日からの騎乗で133戦3勝に終わった2009年は、厳しいソウルでの数字とはいえ満足できるものではなかった。「海外に行ったら順応性がないとダメですよね。自分にはそれがあると思っていたけど、なかなか順応できませんでした」。それでも免許期間の延長が認められ、巻き返しに意欲を見せた2010年は、1月にいきなり前年を上回る4勝。軌道に乗りかけた2月28日に落馬して骨盤を骨折してしまったが、4月24日には復帰して10月3日まで騎乗した。2010年に限れば89戦8勝。約1年半の遠征で222戦11勝という成績を残した。
苦戦しながらも2010年1月は4勝した加藤騎手
平瀬騎手はケガに泣いて不完全燃焼に終わった
 2010年1月29日には平瀬城久騎手がプサンでの騎乗を開始した。だが、遠征後半に不運が重なってしまった。「騎乗は不本意でしたけど、いい経験になりました。他の国から来た騎手や調教師とも知り合えましたし。最初から1年くらいの予定で行ったので、半年ほどプサンで乗ってみて、ちょうど声がかかったのでソウルに移ったんですが、ひざの靭帯を痛めてしまい……」。騎乗馬が故障して落馬。ソウルでの9戦目、8月21日のことだった。1ヵ月ほど入院、帰国して治療を続けてソウルに戻ったが、今度はメディカルチェックで影が見つかる事態に。「日本で再検査したら落馬の影響でできたもので腫瘍ではなかった。悔いが残りましたね」。結果的に落馬が最後になってしまった平瀬騎手は、111戦7勝という成績で遠征を終えた。

 2010年7月2日からプサンで騎乗した鮫島克也騎手は、9月からの南関東遠征が決まっていたため、延長ができない状況での参戦だった。「(韓国は)日本人も行っていたし話を聞いていたんで、年齢的にも乗れるうちに1回は海外で乗ってみたいと思って行ったんですが……」。7月4日にいきなり実効3日の騎乗停止処分を受けてしまった。しかも、この年に限って夏休みの休催が2週間。7月16日から8月6日まで乗れなかった。結局、9月5日の遠征最終日までに騎乗できたのは31戦。「53㌔までしか乗れないんで、それもあって数は乗れませんでした」。ハンデ戦はもちろん、別定でも下限が軽くなるパターンがある韓国。体重のある騎手は騎乗馬の確保が厳しいが、それでも帰国までに4勝を挙げ、のちの4000勝ジョッキーが意地を見せた。


海外遠征先の定番として定着
 2010年11月5日から内田利雄騎手が再びプサンキョンナム競馬場で騎乗を開始。2011年になると別府真衣騎手、野田誠騎手、井上俊彦騎手がソウル、山本茜騎手がプサンで騎乗する。遠征が完全に定着したこのあたりからは、ほぼ毎週、誰か日本の地方競馬所属騎手が韓国で騎乗しているような状況が続いている。(つづく)


地方競馬所属騎手の韓国遠征成績(年度別)
騎手名(所属) 成績 騎乗期間 所属場
大賞(グレード・リステッド)成績
2009年
倉兼育康(高知) 191戦40勝 1月9日~4月26日 プサン
KRAカップ・マイル(G3)6着
西村栄喜(荒尾) 347戦44勝 1月9日~11月12日 プサン
KRAカップ・マイル(G3)1着、コリアンオークス(G2)2着、釜山広域市長杯(G3)7着
加藤利征(愛知) 133戦3勝 6月27日~12月27日 ソウル
東亜日報杯(L)7着、YTN杯(L)12着
宮下瞳(愛知) 109戦13勝 10月9日~12月27日 プサン
グランプリ(G1)4着、釜山広域市長杯(G3)3着
2010年
加藤利征(愛知) 89戦8勝 1月9日~10月12日 ソウル
 
宮下瞳(愛知) 445戦40勝 1月15日~12月19日 プサン
コリアンオークス(G2)13着、釜山広域市長杯(G3)12着、オーナーズカップ(L)10着
平瀬城久(金沢) 102戦7勝 1月29日~6月27日 プサン
9戦0勝 8月14日~8月21日 ソウル
 
鮫島克也(佐賀) 31戦4勝 7月2日~9月5日 プサン
 
内田利雄 65戦8勝 11月5日~12月19日 プサン
オーナーズカップ(L)2着、大統領杯(G1)10着