当コーナーでは、地方競馬に関するイベントや注目レース等の気になる話題を写真と共にご紹介します。

第21回 SBS ESPN杯 韓日競走馬交流競走

2013年09月10日
取材・文●牛山基康
写真●NAR、牛山基康

 これまで騎手の交流が活発に行われてきた日本と韓国の間で、ついに現役の競走馬も遠征する人馬による交流が実現した。ソウル競馬場と大井競馬場で、それぞれ3頭の遠征馬を迎えて争われる国際競走の実施が発表され、まずは大井から3頭が韓国に遠征した『韓日競走馬交流競走』が9月1日、ソウル競馬場で行われた。優勝したのは、的場文男騎手が手綱を取った日本のトーセンアーチャー。勝利が目前まで迫っていた韓国のワッツヴィレッジを爆発的な末脚で差し切った。3着には高知からソウルに遠征中の倉兼育康騎手が騎乗した韓国のインディアンブルー、4着には韓国の現役最多勝馬で単勝1番人気に支持されたタフウィン。これに柏木健宏騎手のビッグガリバーが5着、真島大輔騎手のファイナルスコアーが6着で続いた。
粘る韓国のワッツヴィレッジを差し切って『韓日競走馬交流競走』を制覇した日本のトーセンアーチャーと的場文男騎手

 韓国には『シジャギパニダ』ということわざがある。直訳すると『始まりが半分だ』。始めるということは、それだけで半分は終わったようなもの。どんなことでも始めるのは難しいが、始めてしまえば、ことを終えるのはそんなに難しくないということを表現したものだ。ソウル馬主協会のチ・デソプ会長は、国際競走を実施するその第一歩として、まずは日韓戦を実現させることが『シジャギパニダ』だろうと考えた。「サッカーも野球も日韓戦は盛り上がる。競馬も最初は日韓戦がいいのではないか」。同会長の発案を受けた主催者の韓国馬事会は、地方競馬全国協会に日韓戦の実施を打診。ソウル競馬場と大井競馬場において相互交流が実現することになった。
入場門に続く通路の入口には2種類の横断幕
パドックにもレースの横断幕が掲げられた
 国際化を進めてレベルアップを急ぐ韓国馬事会。その背景を紹介しておこう。日本の統治から解放され、南北が分断されても、在来馬などの限りある馬資源で競馬を続けてきた韓国馬事会は、経済発展とともに外国から競走馬を輸入するようになると、1980年にはアジア競馬会議をソウルで開催するまでになった。だが、その当時は、すべての競走馬を韓国馬事会が所有する単一馬主制で競馬が行われていた。韓国馬事会が購入した競走馬が、各調教師に配分されて競馬が行われるという状況では、競馬サークル全体のレベルアップにも限界があった。
 大きく転換したのは1993年8月、個人馬主制が導入されてからだ。それまで実験的に行われてきた自国でのサラブレッド生産を本格化させる施策も次々に打ち出され、1998年にはダービーを創設。2001年には韓国産馬の入厩頭数が外国産馬を逆転した。その一方で、競走馬のレベルを維持するためにも入厩頭数の25%は外国産馬になるように調整。2002年から外国産馬の購入も各馬主が行えるようになると、それまでになかった現役競走馬の輸入が相次ぎ、外国産馬のレベルが一気に高まった。
 だが、これにより格差が生じたため、外国産馬の購買価格に上限を設け、既出走馬の入厩は認めないなどの規制が敷かれた。それでも購買価格の上限は徐々に緩和され、韓国産馬の生産を本格化させる施策として行われてきた韓国産馬限定競走も、来年には外国産馬混合競走と統合される計画だという。今回の『韓日競走馬交流競走』の出走馬に韓国産馬が1頭もいなかったのは、数少なくなった外国産馬混合競走のビッグレースに外国産馬が集中するためだが、この現象も今年が最後になるかもしれない。
 前置きが長くなったが、韓国の競馬は、現在の体制になって20年しか経っていない。個人馬主制が20周年を迎えた今年、ちょうど20年前に第1回が行われた『SBS杯』の競走条件を変更、韓国競馬史上初の国際競走となる『韓日競走馬交流競走』として行うことになった。ソウル競馬場の特殊なコース形態が考慮され、舞台は2コーナーのポケットからスタートする外回りの1400mに設定。ソウル競馬場と大井競馬場の相互交流というかたちがとられ、出走馬と騎乗騎手もソウル競馬場と特別区競馬組合の所属に限られた。ちなみに『SBS』とはテレビ、ラジオ局の社名でソウル放送の略称。今回から同局のスポーツ専門チャンネルである『SBS ESPN』の冠競走となった。

 日本からの遠征馬3頭は、千葉県にある小林牧場の出張厩舎に入厩して輸出検査を行った。期間中の調教は午後6時から。ファイナルスコアーの高橋昭仁厩務員は「遅くしてもらいましたが、まだ暑さが残っている時間ですからね。暑さに弱い馬なので心配でした」という。それでも小林牧場に所属するトーセンアーチャーとファイナルスコアーには輸出検査に伴う移動がないというメリットがあった。唯一、大井競馬場から参戦したビッグガリバーの小泉哲三厩務員は「短期放牧から戻って、そのまま小林牧場、ソウル競馬場でしたから、環境の変化は大きかったですよね」。10日間の輸出検査を終えた3頭は、8月21日に成田空港から出国。同日にソウル競馬場の国際厩舎に到着した。ソウル競馬場での調教は、地元馬よりも早い午前4時から。暑さの心配は少なかった。いくつか習慣の違いに戸惑うことはあったが、それも解決に向けて努力してくれたという。
1Rにも騎乗した的場騎手(右端)と柏木健宏騎手(左端)
 さわやかな秋晴れとなった9月1日。地下鉄4号線の競馬公園駅からソウル競馬場の入場門まで続く通路の入口には『韓国競馬 歴史上 最初 韓日戦!』の横断幕が掲げられ、早くから多くのファンが入場した。日本からの遠征馬に騎乗する各騎手は、前日のレセプションから参加。当日のエキストラ騎乗を経て、本番に臨むことになっていた。1Rに騎乗した的場文男騎手は7着、柏木健宏騎手は10着。だが、6Rに騎乗予定だった真島大輔騎手は、残念ながら騎乗馬が出走を取り消してぶっつけ本番になった。
 電力事情が悪化した今年は、夏に1ヵ月ほど行われるナイター開催が薄暮開催に変更され、その期間が延長されている。この日も薄暮開催。だが、9Rに組まれた『韓日競走馬交流競走』の発走時刻は16時20分で、昼間開催のメインレースとほぼ変わらない。通常ならソウルと交互に発走する同日開催のプサンキョンナムが薄暮の時間に集中しているためで、
ビッグガリバーの返し馬にはスタンドから驚きの歓声
ソウルでは13時00分の1Rから9Rまで立て続けに25分間隔で発走した。パドックの周回もあっという間に終了。慌しく各馬が本馬場へと入場していった。
 この本馬場入場で習慣の違いを象徴するできごとがあった。ビッグガリバーが入場してすぐに返し馬に入ると、そのスピードにスタンドから歓声が上がった。日本では当たり前になった光景だが、ソウルのファンには新鮮だったようだ。

 いよいよゲートイン。韓国ではゲートボーイを配置しているが、トーセンアーチャーの川本裕達厩務員が「手綱を持たれますからね。気になると思ってはずしてもらいました」というように、3頭とも日本のスタイルでやらせてもらったそうだ。それでもビッグガリバーの柏木健宏騎手によると「自分のところにいなくても隣にいますからね。結局、見てしまいました」。大外のファイナルスコアーはまずまずだったが、ビッグガリバーとトーセンアーチャーはスタートで少し出遅れた。

 「自分が思っている以上に直線で弾けましたね」と的場文男騎手。後方の内々を追走したトーセンアーチャーは、コーナーで徐々に外に出されると直線は馬場の真ん中を豪快に追い込んだ。
馬場の真ん中を豪快に追い込んだ
的場騎手とトーセンアーチャー
「夏負けしていたので勝てるとは思わなかったけど、夏負けでもギリギリの状態だったんですかね」と驚いている鞍上に対して、橋本和馬調教師は「届かないなと思ったんですけど、的場さんがあきらめないでよく乗ってくれました。うれしいけど、うまくいきすぎですね」と振り返った。同師が「すごく大人なので環境が変わっても大丈夫。遠征に向いているだろうと思っていました」と絶賛するトーセンアーチャーのメンタルの強さが、初の海外遠征によって自身の約5年ぶりとなる勝利につながったのだろう。勝ちタイムは1分25秒7。コースレコードに1秒3差だが、含水率6%の良馬場ということを考慮すれば、日本馬の速さをアピールするには十分だったのではないだろうか。
引き揚げてきた的場騎手はスタンドに向かって右手を上げた
表彰式では「マトバサン、オメデトォ!」の声も
 「枠順が良くなかった。逃げれば楽に勝てたのに……」と悔しがりながら引き揚げてきたのは、ワッツヴィレッジで2着したソ・スンウン騎手だ。前走はステップとして組まれた同条件の平場を5馬身差の逃げ切り。含水率13%の重馬場だったが、今回の勝ちタイムと同じ1分25秒7を楽々と叩き出していただけに、最内枠のプルンミソに強引にハナを奪われたのが誤算だったのだろう。2番手に控えてから直線で抜け出した。「ビジョンを見た瞬間は勝てると思いました。日本の馬は終いが強いみたいですね。悔しい準優勝ですけど、今回はこのくらいで満足しなければいけませんね」。1200mの通過が1分12秒2。これは1200mのコースレコードに1秒0差というハイラップだが、前走はそれを上回る1分11秒9で通過していた。柏木健宏騎手が「2着の馬は自分の競馬ができればもっと走ったと思う」と語ったのも納得の内容だった。
 ワッツヴィレッジが速さをアピールした一方で、その他の韓国馬は、そのハイラップの高速決着に泣いた。「1400mに合わせて調教したし、チャンスはあると思っていました。先に行った日本の2頭や韓国の最強馬を交わしたときはいけると思いましたが、2着の馬にも届きませんでしたからね。時計が足りませんでした」というのはインディアンブルーの倉兼育康騎手。
1番人気に推されたタフウィンとチョ・ギョンホ騎手
また、韓国の期待を一身に背負ったタフウィンのチョ・ギョンホ騎手は「考えていたより早めに行ったほうがいいと思ってしまい、追っつけて行って、それで脚を使ってしまいました。いっそ後ろから行っていればもっと走れたと思うので、悔いが残りますね」。確かに2年前に脚質転換を兼ねて1400mを使われたタフウィンは、後方からトーセンアーチャーのような追い込みを決めている。今回は見えないプレッシャーが道中を急がせてしまったのかもしれない。
 現地での調教の動きの良さから、実績で上回るファイナルスコアーを抑えて2番人気に支持されたビッグガリバーだったが、直線で思うように伸びなかった。ソウル競馬場での追い切りを倉兼育康騎手に依頼するなど万全の準備をしてきた藤田輝信調教師は「とてもいい状態で、左回りも特に心配していません」と語っていたが、柏木健宏騎手は「初めての左回りに戸惑っていたところがありました」と実戦での難しさを痛感する結果。 また、荒山勝徳調教師が「飛行機を使った輸送は初めてですし、精神状態がどこまで回復しているか」と心配していたファイナルスコアーは、先行して見せ場は作ったが、勝負どころからついていけなくなった。「返し馬から集中力を欠いていました。レースでも物見をしたりして、力を出し切れませんでした」と真島大輔騎手。どこであろうと海外遠征の難しさは変わらないということを感じさせた。
2番人気に推されるも5着に敗れ、悔しそうな表情の柏木騎手
初の海外遠征で力を出し切れなかったファイナルスコアー

 完勝も期待された日本にとっては少し残念な結果だった『韓日競走馬交流競走』だが、レースとしては見応えのあるものになった。韓国の関係者はどのように感じたのか。
的場騎手も驚いた大勢のファンでにぎわうスタンド
調教師協会の会長を務めるキム・ジョモ調教師は「レースが終わるまでは韓国の馬が惨敗したらどうしようかと怖かった。今日の結果を見て、何年先になるかは分からないが、追いつけるときが来るだろうという希望が持てた」と語っていた。また、的場文男騎手が「このお客さんの数を見ても、どんどん盛り上がって、相当な競馬国になるんじゃないかなと思いましたね」と語ったように、スタンドには熱心なファンが多い。その熱意は、韓国のレベルアップを後押しするに十分かもしれない。

 11月26日には大井競馬場で韓国からの遠征馬3頭を迎え撃つ。トーセンアーチャーの橋本和馬調教師は「左回りの1400mがいちばんいいので、右回りの1200mになってどうか。それに選定されるかどうかですね」。トーセンアーチャーが出走できないほどのメンバーになれば韓国からの遠征馬は厳しくなるだろうが、2着のワッツヴィレッジは日本への遠征を検討しているそうだ。右回りは初めてだが、前述したように距離短縮は好材料。日本でどんな競馬をするのか。今から楽しみだ。
表彰台に併設されたフォトゾーンで口取り