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クラキンコ、史上初「牝馬で三冠制覇!」

2010年09月06日
文●神谷健介
写真●神谷健介、NAR
映像協力●ホッカイドウ競馬
3冠達成の瞬間 (8/19 王冠賞)
 その瞬間、様々な人の、様々な思いが交錯した、穏やかで温かい拍手が送られた。
 ホッカイドウ競馬の3歳牝馬、クラキンコ(堂山芳則厩舎)が8月19日(木)、道営史上初めてとなる「牝馬による三冠制覇」を成し遂げた。
 国内のいわゆる「3歳クラシック競走」において、JRA菊花賞(京都芝3000m)に次ぐ長距離戦、門別ダート2600m「第31回王冠賞」での快挙達成。もちろん初体験の距離、一般的に3歳牝馬には過酷であろう条件をパワフルかつ息の長い末脚で克服し、前人(馬)未到の高みに登り詰めた。
 道営3歳三冠馬は1981年トヨクラダイオー(牡、成田春男厩舎)、1999年モミジイレブン(牡、鈴木英二厩舎)、そして2001年ミヤマエンデバー(牡、堂山芳則厩舎)に次いで史上4頭目。堂山厩舎からは9年ぶり2頭目の誕生で、こちらも史上初めての偉業となった。
安堵の表情で引き上げる宮崎騎手
 テン乗りだった北海優駿(ダービー、6月1日)より、さらに重いプレッシャーを跳ね除けて、大役を全うした宮崎光行騎手(43)はゴールの瞬間、ふっと頭を垂れて安堵を滲ませた。拍手のなか、淡々と引き揚げて1着の枠場に入った愛馬を、倉見利弘オーナー(45、日高町・倉見牧場々主)も、やはり安堵からか、意外にも落ち着いた心持ちで出迎え、ねぎらった。
 「2歳時からの最大目標だった北海優駿を勝ってくれただけでも有り難かったのに『三冠馬』なんて、夢のようです。先代(1998年に他界した父・眞實さん)も喜んでくれていると思います」
 道南の漁師町、瀬棚町(現せたな町)で水産業を営んでいた眞實さんが、1983年に旧門別町緑町の牧場を買い取り、4〜5頭の繁殖牝馬でスタートした倉見牧場。生産馬の大半を道営競馬でデビュー、活躍させ「クラ軍団」という“地域ブランド”を確立した中堅牧場から、開場28年目にして飛び出したスーパー牝馬クラキンコ。その誕生からの軌跡は、倉見牧場はじめ様々な関係者の、懸命な努力と執念が幾重にも折り重なるなかで、その一つでもかけていれば恐らく成立しなかったであろう“奇跡のストーリー”である。
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 クラキンコは2007年4月11日、倉見牧場生産の牡馬では「最高傑作」という父クラキングオーの、待望の初仔として誕生した。このこと自体がまず、奇跡だった。
クラキングオー (2000年ダービーグランプリ出走時)
 父のクラキングオー(1997年産、父スズカコバン、母クラファストレディ)は2000年の道営3歳(当時の表記は4歳)2冠馬。札幌1000mで行われた1冠目「北斗盃」こそ、スピード負けしてマークオブハート(次戦、交流GV北海道スプリントカップでもオースミダイナーの2着に迫った快足馬)の6着だったが、7月に挑戦したJRA函館競馬4歳上500万円以下(ダート1700m)で同着V。これで弾みをつけて、ともに旭川ナイターで行われた王冠賞(1600m)と北海優駿(2300m)を快勝、鮮やかに「2冠」を達成した。
 ダービーグランプリ(盛岡)8着を挟んで勇躍、旧4歳で道営記念に挑戦。惜しくも、歴戦の古馬ヒットパークの半馬身差2着に敗れ、4歳での「道営最強馬」襲名はならなかったが、2年後の02年に、前年覇者チェイスチェイスや同年最大の上がり馬ツギタテヒカリとの“3強対決”を制して戴冠。4年前に亡くなっていた先代からの「夢」をついに叶えたのだが、実は利弘オーナーはこの日、郷里の旧瀬棚町から母・利子さんを、また札幌に住む妹・葉子さんを呼び寄せ、先代の遺影を抱いてキングオーの勝利を念じていた。そして、先代の遺影も一緒に収まったその口取り写真は、もちろん家宝として牧場内の自宅に掲げられている。

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 こうして倉見牧場の看板馬となったクラキングオーだったが、翌年5月のオープン特別サクラローレル賞(札幌1700m)で、その運命が180度暗転しかねない重症を負ってしまう。レース中、右前肢の腱に恐らく重度の断裂(または断絶)を発症したのであろう「極度の球節(ヒトで言えば指の付け根部分)沈下」が視認されたのである。
 負傷直後に診断した臨場の獣医師からは、恐らく球節が複雑骨折していると思われ完治は難しい、予後不良と判断せざるを得ないとのニュアンスの話があったそうで、堂山師はいったん、その状況をオーナーに報告。かつて同じような場面に立ち会ったこともある利弘さんは、馬の苦しみに思いを致し「宜しくお願いします」と伝えて電話を置いたのだという。ところがその後、様子を注意深く確認し続けた堂山師から改めて電話が入ると、利弘さんに一筋の希望の光が射し込んだ。
 師は伝えた。「競走馬としては無理でも、命を取り留める望みがなくなった訳ではない。一度門別の厩舎に戻して様子を見て、その上で判断することにしましょう」と。オーナーも即座に同意し、クラキングオーはその夜、札幌競馬場から門別トレセンまで100キロ近い道のりを、馬運車の中で痛みに耐えながら輸送され、住み慣れた馬房に帰ってきた。翌日、診察にあたった別の獣医師も「極度の球節沈下」を確認すると、さっそく伸縮性のあるバンテージで患部をある程度固定し、支える治療が施された。幸い外傷などはなく、多量の膿が出るような症状もなかったため、バンテージを巻いて患部が固まっていくのを待ち続けることになった(注=応急治療を優先すると同時に、その時点でもはや現役復帰は全く想定できない状況だったため、エコー診断やX線撮影等による確定診断を下すことはなく、治療にあたった獣医師らが「確定的に症名を言えない状況」が今も続いているという)。
 負傷が伝えられた夜、利弘さんは一人で門別トレセンに向かい、馬運車から降りたキングオーが負傷した右前肢を浮かせながら残る3本の肢で何とか歩いて馬房に向かってくるところに立ち会った。痛々しい姿を見て「何とか治ってほしい・・」との願いを強くしたが、その現場はやはり沈痛な雰囲気だったため、利弘さんは獣医師から今後についてアドバイスをもらい、その夜は短時間の訪問で帰宅。それからは1日おきに「美味しい草を食べてほしい親心で」刈り取った青草を厩舎に持って行き、キングオーを見舞い続けたという。
 ほどなく獣医師から「普通に生活するには何とかなりそう」との所見も伝えられる中、そのまま約1ヵ月、門別トレセンの堂山厩舎でバンテージを巻きながらの経過観察が続いたのだが、症状も落ち着いてきたことから、いよいよ倉見牧場に戻って治療と回復に専念することになった。6月26日のことだ。
 そこからほぼ丸2年間、生まれ故郷でひたすら患部が固まるのを待つ日々が続いた。ケガによって生じた、約10センチの「左右の長さの違い」から、右前肢が地面をグリップできず一歩が抜けてしまったり、厳寒期には凍りつく地面で滑らせそうになったりと「障害を背負った馬の苦労」は絶えなかったが、そんな状況にもクラキングオーは強靭な体力と生命力、そして精神力で耐え抜いた。また、あまり無駄な動きや負荷のかかる行動をほとんどしない利口さを身につけており、対をなす左前肢の蹄に「血行障害」やその進行の末に発症しかねない「蹄葉炎」を患うこともなく、少しずつ快方に向かっていった。
 ちなみに、掲載した写真をご覧いただければわかる通り、患部はハンドボールほどの大きさまで膨れ上がり、そこに付いた結合組織で支えるような状況になっている。時折り様子を見に行くという獣医師は「今もまだ腫れているし、熱を持ったりもする。完治には至っていないので、今まで通り負荷の少ない生活を続けてほしい」と願う。



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 ここまで回復すれば、牧場が生んだ「最高傑作」の牡馬である。生粋のオーナーブリーダーとして、クラキングオーの遺伝子を次代につなげることが新たな目標となった。
 大ケガから約2年後の05年5月、翌年の「種牡馬デビュー」に向けて、大人しい繁殖牝馬のクラギンガ(旭岳賞など道営12勝を挙げたクラダイギンガの母)を相手に「試験種付け」を行った。すると、未経験にも関わらず、繁殖牝馬の真後ろから向かうことなく横から慎重に接近する賢さも見せたという。
 精液検査でも問題はなく、種牡馬“昇格”にゴーサインが出たキングオーは翌06年、満を持して牧場にもう一頭いる北海優駿(1994年)の勝ち馬クラシャトルに種付けを行った。無事に受胎し、07年4月11日に誕生したのがクラキンコである。
 父も母も「北海優駿」優勝馬。すなわちダービー馬×ダービー馬という、中央・地方を問わず滅多にお目にかかれない「夢の配合」で生まれた「奇跡の結晶」だ。幼少時代は、オーナー夫妻が「特別なエピソードって言われても、覚えてないなあ」と話すほど手が掛からなかったそうだが、ともに現役当時、500キロ前後の馬体重でパワフルな走りを見せた父母の立派な体躯を、見事に受け継いだクラキンコは期待通りに成長。1歳の11月、父クラキングオーも管理した堂山厩舎に入厩する際には、すでに将来500キロも見込めるグラマラスな馬体になっていた。

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 ここで、母馬クラシャトルにも触れておきたい。何と言っても、生産牧場を支えるのは繁殖牝馬。特に、仔出しが良く「走る仔」の誕生確率も高い「基礎牝系」を脈々と作り上げた牧場は、調教師や馬主らはもちろん、ファンも常に注目する存在になっていく。
 倉見牧場を支えてきた牝系はかつて、3本のラインに分けられたのだが、今はそのうち1本が途絶え、2本が枝葉を広げている。その「基礎牝馬」は、1頭がクラネバダンサー(父ネヴァーダンス、1980年産)で、もう1頭はカネイゼーア(父オンワードゼア、1973年産)である。
 前者には「クラ」の冠が付され、おなじみの馬名だが、一方のカネイゼーアは「軍団っぽくない」とお感じの方もいるだろう。しかし、実はこちらが倉見牧場では最古参の繁殖牝馬で、なんと先代の眞實オーナーが馬主資格を取得した最初の年に購入し、記念すべきオーナーとしての初勝利をもたらしてくれた牝馬なのだという。先代は当初、4つの冠名を使い分けており、本業の屋号である「カネヰ(これは商号の読み方)倉見商店」から取った「カネイ」を、将来の基礎牝馬になることなど知る由もない一頭のオンワードゼア産駒に名づけたのである。ちなみに、残る二つは、旧瀬棚町が属する「檜山支庁」から採った「ヒヤマ」と、地元の名勝「三杉岩」から採った「ミスギ」だったそうだ。
 その牝馬が、後に牧場の屋台骨の一本を支え、孫の代で「3歳2冠」に先代の夢であった「道営記念」まで勝ってしまうクラキングオーを輩出。その馬がまた堂山師の機転から奇跡的に大ケガを克服して種牡馬となり、さらには「道営ダービー馬」同士の掛け合わせで「史上初の3冠V牝馬」が誕生してしまうのだから、「事実は小説より奇なり」という諺ですら陳腐に聞こえてしまう「有り得ないような、本当に奇跡の物語」なのである。
 ここで、カネイゼーアに関する「地方競馬トリビア」を一つ、紹介しておきたい。
 全国の競馬場で活躍する現役「誘導馬」の最高齢馬として、笠松競馬場の人気者になり地方競馬全国協会より「NARグランプリ2009」で感謝状が贈られた“パクじぃ”ことハクリュウボーイ(牡・1983年産、生産=倉見牧場)が、実は、このカネイゼーアの産駒なのである。競走馬として50戦12勝を挙げ、7月に天に召されたあのオグリキャップとも一緒のレースで走った経歴があるという“パクじぃ”のルーツ。こんな所にまで人気者を送り出しているのも「地方競馬の名門・倉見牧場」の摩訶不思議(失礼!)な魅力の一つだと言えそうだ。

倉見牧場遠景

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 脱線が過ぎた。話を戻そう。
 クラキンコの父クラキングオーは、基礎牝馬カネイゼーアにJRA宝塚記念3着などがあるシングルロマンを配合して生まれた牝駒クラファストレディの子どもである。
クラシャトル(1993年北海道3歳優駿優勝時)
 一方、母クラシャトルは基礎牝馬クラネバダンサーに地方競馬でブレークした名種牡馬ワカオライデンを配合して誕生した。道営・後條雄作厩舎(現在は解散)からデビュー、旧3歳時の1993年に北海道3歳優駿(現2歳優駿=交流JpnV)を勝ち、旧4歳の94年には北海優駿を制して、倉見牧場に初めて「クラシックタイトル」をもたらした。
 すなわち、現存する2本の基礎牝系が順調に発展し、「北海優駿」や「道営記念」を勝って、それぞれの代表馬となった2頭を配合して生まれたのがクラキンコなのである。その確率たるや、間違いなく天文学的な数値である。オーナーブリーダーの「究極の夢」を、ものの見事に体現してしまったのが、今回のクラキンコの「三冠制覇」ということだ。
 また少し横道に逸れるが、基礎牝馬クラネバダンサーにもちょっとした“トリビア話”が幾つかある。
 今年でもう30歳になったクラネバダンサーは、実はすでに両目とも失明してしまい、視覚を通じての状況判断や、次なる行動の決断はできないそうだ。しかしその分、他の感覚が鋭敏になり、同じ放牧地で生活する僚馬とほぼ常に同じ行動を取れるという。ただし強風などの悪天候時はその感覚が狂ってしまうそうで「見ていて可哀想に思うこともあるんだけどね」と利弘オーナー。
 それでもクラネバダンサーは「天寿を全うするまで面倒を見続けます」と言う。先代が亡くなる寸前に「ネバダンサーは最後まで頼む」との“遺言”をのこしたからだ。
 再び、話を戻す。
 クラネバダンサー→クラシャトルと連なる母系は「全体的に体質が非常に丈夫」だそうで、2歳8月のデビューから門別で5戦(2勝・2着2回・3着1回)→JRA東京遠征(芝1600m、今春の牝馬2冠アパパネから1秒5差の12着)→大井移籍2戦(1勝)→再び門別に帰って4戦(重賞4連勝で三冠制覇)を積み重ねてきたクラキンコも、もちろん例外ではない。ここまで長期休養も取ることなく、連闘や中1週のローテーションも経験しながら(3歳春の道営再転入後はほぼ月1走のローテで出走)ほぼ毎回、消耗度も大きくなってくる「強い相手」と戦い続け、3冠馬にまで登り詰めたのだから。

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王冠賞の口取り 3本指を立てる宮崎騎手(写真1番右)
 晴れて三冠馬となり、いよいよ「全国区のアイドルホース」への道も開けてきたクラキンコ。急速にファンが増える中で、最も関心が集まるのは今後のローテーションだ。
 過去にも「遠征」で秀でた実績を残している堂山師。JRA札幌競馬への出走も検討したそうだが「現段階の自己条件である1600万円だと2回札幌開催はひと鞍も編成されていないし、かといって重賞のエルムSにも出られないから」と断念。
 現時点では、古牝馬の頂点を決する第9回ノースクイーンカップ(9月22日・門別1800m、地方全国交流・H2=グランダム・ジャパン古馬シーズン、スタリオンシリーズ「ゴールドアリュール賞」)か、あるいは秋の古馬王道重賞・第43回瑞穂賞(10月19日・門別1800m、地方全国交流・H2、スタリオンシリーズ「ダンスインザダーク賞」)を使って、シーズンの掉尾を飾る大一番、11月18日の第53回道営記念(門別2000m・H1、スタリオンシリーズ「シンボリクリスエス賞」)へ駒を進める方針だ。
 気の早い話だが、もし道営記念を制するとなれば、3歳牝馬としては1988年のヤマノフレアリング以来22年ぶりの快挙。3歳馬の優勝自体も、03年ビックネイチャー以来7年ぶりの偉業となる。
 さらに気の早い話をもう一つ。種牡馬クラキングオーの現役産駒はまだクラキンコ1頭のみだが、この春、その3つ下の当歳っ子に全弟が誕生した。これまた天文学的な確率にはなるが「史上初・全姉弟での三冠制覇」をやはり楽しみとせずにはいられない。
 そして、今年の2歳戦線。クラキンコの半弟クラヤマトオー(堂山厩舎・父タヤスツヨシ)がデビュー3戦目から鮮やかに2連勝を決めた。こちらはかなり現実的に、来年の3歳クラシックでの活躍を期待できそうだ。
 これから下半期も、話題を独占する可能性十分のクラキンコ&クラ軍団。その活躍に、今後も熱い期待と声援を寄せて頂きたい。
クラシャトルと当歳
クラヤマトオー

クラキンコ ホッカイドウ3歳三冠の軌跡
第34回 北斗盃 (2010年4月29日)
第38回 北海優駿 (2010年6月1日)
第31回 王冠賞 (2010年8月19日)
クラキングオー号・クラシャトル号 北海優駿レース映像
クラキングオー優勝 第28回 北海優駿 (2000年9月27日) (25MB)
クラシャトル優勝 第22回 北海優駿 (1994年9月1日) (36MB)
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