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的場文男騎手、通算6000勝の感謝

2010年07月09日
文●斎藤修(サイツ) 写真●いちかんぽ、NAR

 6月30日、大井競馬場で的場文男騎手の地方通算6000勝達成セレモニーが行われた。
 すでに夏の大井らしい蒸し暑い1日。雨はほぼ確実という感じの予報が前日に出ていたものの、その天気予報がいいほうに裏切られたのは何よりだった。

■ 語るのは、常に感謝の言葉

地方通算6000勝達成の瞬間
 的場騎手が6000勝を達成したのは6月4日、平成22年度第4回大井開催最終日の第6レース。佐々木竹見さん、石崎隆之騎手に続く、日本では歴代3人目となる大記録だ。
 その次の大井開催は6月の最終週となってしまうため、地元大井でメモリアルの勝利を挙げられたことは、何より本人がホッとしたことだろう。

 記録達成当日にも簡単な挨拶があったが、正式なセレモニーは次の大井開催、つまりこの6月30日を待たねばならなかった。結果的に、それが的場騎手にとっては過去に3勝を挙げている帝王賞当日になったことは、この偉業をファンに一層アピールすることとなったのではないか。

 セレモニー直前の第8レース、的場騎手は6番人気の伏兵で勝利し、自身で花を添えた。
 この日は第1レースで放馬があったことなどでスケジュールが押していた。予定よりやや遅れての18時半過ぎ、的場騎手が登場すると、賞典台の前を埋めたたくさんのファンは大きな拍手と声援で迎えた。それは、53歳を迎え、なおレベルの高い南関東の第一線で活躍を続ける的場騎手の人気の高さをも示していた。

記念セレモニーでの挨拶
 セレモニーでの的場騎手の挨拶――
 「このたび6000勝させていただきまして、これもひとえに馬主さんをはじめ、調教師さん、競馬関係者のみなさん、そしてここにご来場いただいているファンのみなさまのご声援のおかげです。心より、喜びと感謝の気持ちで一杯でございます」
 この挨拶に先立って行われたインタビューも含め、的場騎手は「感謝」という言葉を何度口にしたことだろう。
 これは、10年も20年も前から一貫して変わらない、的場騎手の姿勢だ。重賞を勝ったときなどのインタービューでは、必ず最後に関係者やファンへの感謝の言葉を述べる。常にそうした感謝の気持ちを忘れなかったことで達成されたのが、この6000という数字なのかもしれない。

 的場騎手はこのセレモニーのあとに行われた帝王賞で、近年の名コンビともなったボンネビルレコードを3着に導いた。9番人気という低評価での好走だけに、好配当を手にしたファンも少なくなかったかもしれない。

■ 大厩舎で腕を磨き、トップジョッキーへ

ボンネビルレコードを優勝に導いた08年かしわ記念JpnI
 的場騎手といえば、なんといっても印象的なのは、馬を追うときの激しいアクションだ。長めの鐙で足を前後に動かし、体全体を上下に動かす独特のスタイルは、たとえば仮に赤地に白星散らしのおなじみの勝負服を着ていなかったとしても、南関東の競馬ファンならすぐにそれが的場騎手であることがわかるのではないか。

 今の若手騎手の多くは、地方競馬でもきれいな騎乗スタイルが目立つ。馬の背中にぴたりと張りつき、追うときも姿勢がほとんどぶれない。的場騎手の騎乗は、それとは対照的だ。ある意味で古いタイプの激しい騎乗スタイルは、デビュー時に所属した厩舎の伝統を受け継ぐものだったのだろう。

 昭和31年(1956年)生まれの的場騎手は、14歳のときに福岡から上京。大井の小暮嘉久厩舎に見習として入り、昭和48年(1973年)9月、17歳で騎手免許を取得した。
 小暮厩舎といえば、大井で一大勢力を誇った大厩舎。的場騎手は、その小暮一門をささえた最後の世代だ。当然のことながら、兄弟子には錚々たる顔触れが名を連ねる。
 今年、マカニビスティーによって騎手時代も通じて東京ダービー初制覇を果たした松浦備調教師は、佐々木竹見さんが昭和39年(1964年)から15年連続で南関東リーディングとなる前の2年間、昭和37・38年にリーディングを獲得したトップジョッキーだった。
 騎手として、また調教師として数々の大レースを制した赤間清松さんは、リーディングこそ獲れなかったものの、松浦さん、佐々木さんの常に2番手、3番手の位置にいた。

6000勝達成時の口取り撮影
左端が高橋三郎調教師
 大井では的場騎手に次ぐ、地方通算3975勝を挙げ、現在も大井を代表する調教師として活躍する高橋三郎さんもまた、的場騎手の兄弟子。ちなみにメモリアルの6000勝をもたらしたのは、高橋三郎厩舎のコアレスコマンダーだった。

 そうした名ジョッキーが居並ぶ厩舎にあっては、デビューしたての若手騎手には騎乗機会すらなかなか巡ってこないというのが普通だろう。しかし的場騎手は、デビュー5年目に早くも頭角を現す。ヨシノライデンでのアラブ王冠賞で重賞初制覇を果たすと、同じくヨシノライデンで全日本アラブ大賞典も制した。この年、的場騎手は53勝を挙げ、以降は着実に勝ち星を増やしていった。
 昭和58年(1983年)には129勝を挙げ、初の大井リーディング。昭和60年(1985年)からはなんと20年連続で大井リーディングという不動の地位を築くことになる。平成14・15年(2002・2003年)には全国リーディングも獲得した。

 的場騎手は数々のビッグタイトルを制し、この6月末日までに重賞131勝を挙げている。しかしただひとつ、悲願となっているのが東京ダービーのタイトルだ。羽田盃では6勝を挙げているにもかかわらず、東京ダービーでは人気になりながら2着に甘んじたことが何度あっただろうか。
 言うまでもなく「ダービー」は、騎手であればほかの何よりも欲しいタイトル。地方競馬のみならず、日本を代表する騎手となった的場騎手にとっては、引退までに唯一残された課題といえるかもしれない。

■ 無言の感謝を、兄弟子へ

 6000勝達成セレモニーの終盤、記念グッズと交換できるカラーボールが、的場騎手からファンに向かって投げ入れられた。しかし的場騎手は、その中のひとつを、最前列にいた白髪の初老の男性に手渡した。
 すでに調教師を引退されていた、赤間清松さんだった。
 「6000勝なんて、なかなかできるもんじゃないから、お祝いに来たよ」と赤間さん。
 的場騎手にとっては小暮一門の兄弟子にあたるが、調教師となってからは的場騎手とのコンビで数々のビッグタイトルを制した関係でもある。

アエロプラーヌで制した89年川崎記念
左端が赤間清松元調教師
 川崎記念3連覇に加え、東京大賞典も制したカウンテスアップ(ただし1度目の川崎記念は別の厩舎所属)。牝馬ながら東京王冠賞に続いて岩手のダービーグランプリも制し、川崎記念まで勝ったアエロプラーヌ。帝王賞を制し、ジャパンカップにも出走したハシルショウグン。いずれも地方競馬を代表する名馬たちだ。

すでに6000を越えた勝ち星のなかでも、ひときわ重みのあるタイトルをもたらしてくれたのが赤間さんだった。そっと手渡したカラーボールは、兄弟子に対する無言の「感謝」だったのだろう。



的場 文男 −まとば ふみお− (大井・庄子連兵厩舎)
1956年9月7日生まれ 福岡県出身
初出走/1973年10月16日 大井第5レース(ホシミヤマ、5着)
初勝利/1973年11月6日 大井第4レース(ホシミヤマ、10戦目)
地方通算成績/31,132戦6,015勝
主な勝ち鞍/帝王賞(ハシルショウグン、コンサートボーイ、ボンネビルレコード)、東京大賞典(カウンテスアップ)、川崎記念(カウンテスアップ、アエロプラーヌ)、全日本アラブ大賞典(ヨシノライデン、ミスターヨシゼン)など、重賞131勝
 ※ 成績は2010年7月7日現在

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