北海道スプリントカップ~ジャパンダートダービー(第96回)
勝ったテーオーヘリオスは、枠順がよかった(3番)こともありますが、内の4番手あたり、絶好位につけることができました。直線は馬群の中で我慢して、よく抜けてきました。
ラブバレットは好スタートでしたが、4、5番手まで下げての追走はよかったと思います。前で競り合っていれば、おそらく勝ち負けにはならなかったと思います。それにしても惜しかった。結果的には、勝ち馬とは、枠順と通ってきたコースの差もあったと思います。直線を向いても我慢して、追い出したのは残り200メートルのあたりからです。先頭に立ったときは、山本聡哉騎手は勝ったと思ったでしょう。このレースをして負けたのでは仕方ありません。
勝った馬も力があるし、山本騎手もうまく乗っていたので、ラブバレットには運が少し足りませんでした。
川崎のこの距離は、1周目のスタンド前でペースが遅くなるのが普通ですが、今回はペースが緩むところがほとんどなく、先行した馬たちには厳しい流れでした。
そうした流れで控えてうまく乗ったのが、ハービンマオの松岡正海騎手でした。スタンド前ではかなり縦長の展開になって、先行集団からは離れた中団でした。人気もなかった(6番人気)ので、落ち着いて、着狙いのレース運びがうまくはまったようなところもありました。それにしても直線で先頭に立っていたゴールドパテックをゴール前でよくとらえきりました。この2100メートルという距離もこの馬には合っていたと思います。
ゴールドパテックは、前半は前3頭からやや離れた4番手を追走。ペースを考えればいい位置を追走していました。3~4コーナーで手応え抜群のまま上がっていって、4コーナーで先行勢をとらえたときは、この馬が勝ったかと思いました。
逃げて3着だったクレイジーアクセルは、内枠だったので行くしかないという感じでの逃げでした。メイショウヒサカタ、ララプリムヴェールにうしろから突かれて、息の入るところがない流れで、先行した3頭で最後まで粘ったのはこの馬だけでした。
1番人気のララプリムヴェールは6着でした。スタートでダッシュがつかず、それでも最初の3コーナーまでに前を捕まえに行っています。そこで脚を使ってしまっただけに、最後は一杯になってしまいました。
勝ったゴールドドリームは、スタートこそあまりよくありませんでしたが、向正面から早めに進出して、ケイティブレイブをマークする位置につけました。テイエムジンソクが飛ばしたペースは、スタートがあまりよくないこの馬には向いたと思います。直線を向いてラチ沿いが1頭分空いていたので、そこを突くことができたのもよかったと思います。
ケイティブレイブは、行ってもいいし、控えることもできるので、今回はテエムジンソクが飛ばして逃げたため、やや離れて3番手からでした。
最後は2頭の一騎打ちになりましたが、両方の馬にとっていい流れになったし、いい勝負にもなりました。やっぱりこの2頭は強い。位置取りや、騎乗ぶり、どちらも完璧なレースをしました。どちらが勝ってもおかしくないレースでした。
サウンドトゥルーにとっても終いの脚が使える流れになって、直線ではよく伸びてきました。8歳で、かなりレースを使われていますが、よく3着に伸びてきました。
ルヴァンスレーヴのデムーロ騎手は、どこから行っても勝てるという自信があって、余裕を持って乗っています。4コーナーでもまだ9番手で、映像から切れてしまうほど大外を回してきています。それでも勝てる自信はあったのでしょう。終いの脚が他馬とまったく違っていました。それほどペースが速くはない流れで、あの位置から余裕を持って差し切ったということでは、能力がまったく抜けていました。
オメガパフュームの川田将雅騎手は、直線でも追い出しを我慢して、うまく乗っていました。3着だったグレートタイムとともに、直線はかなりいい脚で伸びてきています。普通なら勝っていてもおかしくないレースでしたが、今回は勝った馬が強すぎました。特にオメガパフュームには、これから重賞で勝つチャンスが巡ってくると思います。
的場騎手のクリスタルシルバーは絶好のスタートを切りました。今回は枠順がよかっただけに、すんなり内の3番手、絶好位がとれたことで、最後は2着争いに加わっての4着でした。テンに行くスピードもあるし、大井の2000メートルということでは、最高のレースをしたと思います。
ドンフォルティスは、もう少し走るかと思いましたが、直線案外伸びませんでした。
ハセノパイロは、強いときは強いレースをしますが、頭を下げて走るような馬は、追ってから伸びないことがあります。今回の結果は残念でしたが、佐藤賢二調教師はここ一番で馬をきっちり仕上げてくるところはたいしたものです。
佐々木竹見(ささきたけみ)
元川崎競馬所属騎手。地方競馬通算7,151勝という世界歴代6位(当時)の勝ち鞍を挙げ、2001年7月8日に騎手を引退。
引退後も2012年3月までNAR地方競馬全国協会参与として後進の指導にあたる等、地方競馬の発展に大きな役割を果たし続けている。