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連載第41回 1993年 全日本サラブレッドカップ

『記憶と記録に残る珍名馬 ウットマン』
1993年全日本サラブレッドカップ ウットマン

Movie(映像ファイルサイズ:24.9MB)
 ウッドマンはMr.Prospectorの仔でアイルランドのヴィンセント・オブライエン厩舎に属し、アイルランドフーチュリティーステークスなどG3競走を3勝。G1デューハーストステークス5着、ミルリッジステークス3着など、5戦3勝を挙げ、種牡馬としても優秀で、海外でハンセル、ティンバーカントリー、ヘクタープロテクター、ボスラシャム、シーロなど。日本で走った仔もヒシアケボノ、レイズスズランなどを輩出している。
 ウットマンはその「パチもん」とか、いわゆる「珍名馬」として知られているが、鹿児島生まれの九州産馬で、血統的には父が菊花賞馬のインターグシケン。トウショウボーイやサクラユタカオーを輩出したテスコボーイの仔であるが、優れたスピードは伝わらず、むしろバテないスタミナが特徴で、産駒にもそういった特徴が色濃く出ている。また母の父フェートメーカーはフェートノーザンやカウンテスアップを輩出。ダート向きの持続力あるスピードが持ち味。そういった事からも、この全日本サラブレッドカップでの勝利は、生まれた時から約束されていたようなものだ。
 ウットマンは91年9月、地方競馬の新潟競馬場でデビューした。新潟皐月賞はコトノハヤブサの2着だったが、新潟ダービーでは雪辱を果たし1着、東北優駿はモリユウプリンスの5着、暮れの青山記念に勝ち、この世代の新潟チャンピオンとなる。
 明けて4歳、ウットマンは笠松の名伯楽・荒川友司厩舎に移籍する。ローレル争覇など9戦6勝で臨んだ笠松のオープン、サマーカップは8着。1400メートルではこの馬の血統背景的な持ち味は全く出なかった。しかも、この当時の東海はトミシノポルンガやマルブツセカイオー、同厩のワカオライデン軍団など強豪がひしめいていた。
 これまでダートでは2280メートルの新潟グランプリ8着が最長だったが、当時3歳で古馬の壁は厚かった。1900メートルのゴールド争覇2着、続く2500メートルの東海菊花賞3着で、ようやくこの馬の本領を発揮出来るレースやってきた。
 全日本サラブレッドカップは2年後1400メートルのG3となるが、この頃は2500メートルの地方競馬全国交流であった。
 1番人気は地元笠松の強豪トミシノポルンガ、2番人気は名古屋のヒデノデュレン、3番人気笠松のベッスルエース。ウットマンは地元、招待馬の相次ぐ回避で、補欠3番手からの繰り上がり出走。単勝人気5番人気であった。大井、北海道、金沢からの招待馬5頭、地元東海地区の5頭の10頭立てのゲートが開いた。
 好スタートを切ったウットマンが、まさかの先手を奪う。タイプスワローが掛かり気味に2番手に控えるが、手綱はガッチリ抑えられて終いは消耗してしまう。3番手に大井のシローランドと北海道のホウリンロイヤル。2周目のスタンド前では内ウットマン、中タイプスワロー、外ホウリンロイヤルと3頭一線となり、以下は競り合う前を見ながら、差しに構える。1番人気のトミシノポルンガは後方から2頭目の位置。
 前は一見競り合っているように見えるが、マイペースのウットマンに対し、タイプスワローとホウリンロイヤルはかなり引っ掛かっており、ウットマンは見かけ以上に楽に逃げている。
 向正面半ばを過ぎて各馬スパート。タイプスワローとホウリンロイヤルは後退し、4コーナーでは外からヒデノデュレンが並びかけ、その直後にトミシノポルンガが迫る。直線でもウットマンの脚色は鈍らず、早めに動いたヒデノデュレンは伸び鈍く、内からシローランドが抜け出しウットマンを追う。さらに外からトミシノポルンガとベッスルエースが迫るも時すでに遅く、ウットマンが鮮やかに逃げ切り勝ちを決めた。
 5番人気のウットマンと8番人気のシローランドで枠番連複16,820円の万馬券。「競馬はやってみないとわからないね」と名伯楽荒川調教師でも思わず苦笑いの結果。競りかけられても慌てずマイペースを貫いた濱口楠彦騎手の好騎乗も、万馬券決着の演出に一役買った格好となった。
 この勝利の後、2500メートルの東海ゴールドカップ、オグリキャップ記念ではトミシノポルンガ、ポスターフェイスに2、3着と敗れたが、3月の名古屋大賞典でトップハンデ58キロを背負い、今度は中団から差して、ゴール前の競り合いを制して勝利を飾っている。その後、岩手、再び笠松、金沢、佐賀と渡り歩き、九州産の霧島賞を制したが、他に大きな活躍は出来なかった。引退後は佐賀県で乗馬となっている。
 確かに「珍名馬」の類ではあるが、全盛期のトミシノポルンガ相手に逃げ切ったその実力は、名古屋大賞典の勝利からも伊達ではなかった。また、その馬名ゆえに雑誌に取り上げられたり、ゲームに登場したりと、「記憶と記録に残る珍名馬」である。
文●小山内完友(日刊競馬)
写真●いちかんぽ
競走成績
全日本サラブレッドカップ 平成5年(1993年)11月23日
  サラブレッド系 オープン 1着賞金3,500万円 笠松 2,500m 曇・稍重
着順
枠番
馬番
馬名
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 2 2 ウットマン 牡5 56 濱口楠彦 2:46.9 5
2 7 7 シローランド 牡7 55 山口勲 1/2 8
3 4 4 ヒデノデュレン 牡6 56 櫻井今朝利 1 1/2 2
4 5 5 トミシノポルンガ 牡5 56 安藤勝己 クビ 1
5 1 1 ベッスルエース 牡6 56 安藤光彰 1/2 3
6 3 3 クラマンダラ 牝4 52 小野望 8 10
7 8 9 イットーオー 牡6 56 鷹見浩 1 9
8 8 10 タイプスワロー 牡8 55 井上孝彦 アタマ 4
9 6 6 ホウリンロイヤル 牡4 54 川島洋人 4 6
10 7 8 ポットグラード 牡6 56 大瀬戸豊 クビ 7
払戻金 単勝1,650円 複勝230円・1,040円・220円 枠連複16,820円