連載第18回 1993年 桜花賞

39年目の悲願をかなえたホワイトアリーナ

地元馬悲願の初制覇を果たしたホワイトアリーナ
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 浦和の桜花賞は、浦和競馬でも最も歴史ある重賞で、創設は1955年(昭和30年)。今年で58回目を迎える。当初は4歳(当時)牡・牝馬混合戦として行われたが、第7回より牝馬限定戦となった。
 南関東牝馬三冠路線は、この桜花賞から始まり、1965年(昭和40年)より川崎の関東オークスが、1987年(昭和62年)大井の東京プリンセス賞創設により、その路線が確立された。2003年(平成15年)から関東オークスが最終戦となり現在に至るが、浦和の桜花賞は変わることなく、3歳牝馬路線の一冠目、最初の関門である。
 当然ここを勝たなければ三冠はない。二冠馬は90年代だけでも4頭出現している。93年のホワイトアリーナ、94年のケーエフネプチュン、95年のヘイワンリーフ、97年のシルバーアクト。
 その中で最も惜しい二冠馬は94年のケーエフネプチュンだろう。一冠目の桜花賞で9番人気の低評価ながら勝ったリワードルンゼの1馬身差2着。続く関東オークスを3馬身差圧勝、東京プリンセス賞を半馬身差で制した。桜花賞で差された1馬身に悔いが残る。
 93年のホワイトアリーナは桜花賞、関東オークスを制しながら、東京プリンセス賞4着で夢破れた。しかし、この勝利はある歴史的な出来事でもあった。昭和30年にこのレースが創設されて以来、第1回のイースタオー(船橋)から、前年のエースポポまでの38回が大井、川崎、船橋の他場所属馬に勝利を奪われていた。ホワイトアリーナが39回目にして初となる、浦和競馬所属馬の勝利となったのだ。
 浦和1600mのポケットからのスタート。ユングフラウ賞を逃げ切った2番人気のビクトリアキャッチが、ここもダッシュ良く飛び出しハナを切る。これに1番人気のホワイトアリーナ、3番人気のイチナリクリゲと人気上位3頭が先行。ボールドリッチ、マリヒメジョ、トルネードハーディが中団に位置し、マルイルビーとソートキララが後方待機。ポインセチア特別を殿から差し切った切れ味抜群のボールドリッチが動きだすと、ホワイトアリーナもビクトリアキャッチを交わして先頭に立つ。
 浦和競馬場の直線は220m(当時)。短い直線なら、ほぼこれで決まりと思わせたが、外からメリーナイス産駒の栗毛馬イチナリクリゲがグングン迫る。
 「やられたと思った」と桑島孝春騎手。
 しかし、アタマ差ホワイトアリーナがしのぎ、史上初、浦和所属馬の桜花賞馬となった。2着のイチナリクリゲも浦和所属馬だったから、結果的には差されても“浦和初”ではあった。
 ホワイトアリーナはタマモクロス産駒の芦毛馬。デビュー戦で536キロの大型牝馬で、クラシックよりも、むしろ将来性を買われていた。連勝の後、若獅子特別、桃花賞と3着し、大井の自己条件を勝って臨んだレースだった。
 「川崎や大井ではもっと力が出せると思います」と桑島騎手。
 再度、単勝1.9倍の1番人気に推された関東オークスを中団からまくり一発で完勝。しかし、初の“三冠馬”を賭けて臨んだ東京プリンセス賞は、後方からの競馬、そしてスローペースが響き、早めに動いたものの追い込むことができず4着。惜しくも三冠の夢は叶わなかった。
 南関東に牝馬路線の三冠馬が誕生したのは、それから12年後、2006年のチャームアスリープだった。今のところ、その1頭だけである。
文●小山内完友(日刊競馬)
写真●いちかんぽ
音声●耳目社
映像●プラスミック(現・山口シネマ)
(協力:埼玉県浦和競馬組合)
競走成績
第39回 桜花賞 平成5年(1993年)4月14日
  サラ系4歳牝馬 1着賞金1500万円 浦和1,600m 晴・良
着順
枠番
馬番
馬名
所属
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 4 4 ホワイトアリーナ 浦和 牝4 54 桑島 孝春 1.41.6 1
2 2 2 イチナリクリゲ 浦和 牝4 54 小林 真治 アタマ 3
3 1 1 ボールドリッチ 川崎 牝4 54 高松 淳一 4 5
4 8 8 マルイルビー 船橋 牝4 54 佐藤 隆 クビ 4
5 3 3 ビクトリアキャッチ 浦和 牝4 54 見澤 譲治 1 1/2 2
6 5 5 ソートキララ 川崎 牝4 54 森下 博 4 8
7 6 6 マリヒメジョ 浦和 牝4 54 市澤 正一 3/4 7
8 7 7 トルネードハーディ 船橋 牝4 54 柿本 政男 2 6
払戻金 単勝230円 複勝140円・150円・170円 枠連複570円