連載第15回 1997年 東京盃
地方競馬が誇る韋駄天2頭が、そのスピードを存分に発揮
中央勢に負けないスピードでGUタイトルを奪取した
カガヤキローマン
秋の短距離重賞としてお馴染みの『東京盃』。1967年の創設以来、一貫して1200m(L-WING新築工事に伴い2002〜2003年は1190m)で行われている。
カガヤキローマン
Movie(映像ファイルサイズ:23MB)
数少ないオープンの短距離戦らしく、レコードタイムが塗り替えられること3回。チャイナロックの快速馬ヤシマナシヨナル、アラブの女傑イナリトウザイ、そして、今も大井競馬1200mのレコードに燦然と輝くカオルダケ。
今でも語り草になっているのが、2000年のベラミロード。ベラミロードはカオルダケのレコードに並ぶ1分10秒2。2着に対し5馬身差の楽勝だったから手綱を緩めるのは普通だが、もしあの時最後までキッチリ追っていれば、更新は間違いなかっただろう。「カオルダケ」の名前を見る度に思い出す。
この東京盃が交流重賞となったのが1995年。当時ライブリマウントやアドマイヤボサツ、そしてホクトベガらJRAのダート巧者が、交流レース拡大とともに各地で暴れまわり、地方競馬の重賞を勝ちまくっていた。東京盃は交流重賞としても数少ない短距離戦として開放され、当然のようにスピードで勝る中央馬に席巻されて……、と思いきや船橋のサクラハイスピードが制し、その後も短距離路線だけは、なんとか地方馬でも勝ち負けできるレースであった。その一因として「地方の砂」が挙げられた。スピードだけでなくパワーも必要な短距離戦。
1997年からはダートグレード競走となり、GI〜GVの格付けが付けられた。東京盃はGUとなった。カガヤキロ−マン(父ブレイベストローマン、母カネアルコ、母の父ノノアルコ)はそんな時代に誕生した、短距離の名馬である。
1995年11月27日、大井競馬の1000mでデビュー勝ちを挙げる。しかし1500m、1600mと距離が延びると苦しくなり、4戦目のさくら特別でなんとか2勝目を挙げたものの、1700m、1800mと距離が延びるとついに頭打ちとなり休養することになった。
当時は勝ち上がり、クラスが上がるごとに距離が延びる番組体系。血統からもマイル以下がベストであろうことは明らかだったが、如何せん番組がなかった。休み明けのB3下マイル戦を快勝、そこから連勝し、3連勝目の1800m戦ディセンバー賞は快勝だったが、その前走まで騎乗していた森下騎手は「スピードがある馬」と考えていたようだ。
転機が訪れたのは、デビュー16戦目の'97スターライトカップ。1200mの準重賞を1分12秒2、2着に1.1秒の差を付ける完勝だった。以降、短距離路線に的を絞って使われることになる。札幌の北海道スプリントカップ(GV)に遠征し、JRAの快速馬メイショウモトナリの0.3秒差3着と健闘。短距離適性は確信に変わった。
第31回東京盃はバクシンマーチが競走除外となり14頭立てで行われた。1番人気に推されたのはJRAのデュークウェイン、2番人気フジノマッケンオー、3番人気にカガヤキローマンだったが、上位はJRA勢の名が並んでいた。
スタートで躓いたフジノマッケンオー。そしてユーコーマイケル、デュークウェインも出遅れという波乱の幕開けとなった。先手を奪ったのは11番人気と低評価だった岩手のサカモトデュラブ。ダッシュ良く飛び出しペースを握る。11番枠からスタートしたカガヤキローマンは、鞍上の石崎隆之騎手が競り合いを避け2番手に。52キロと軽量のJRAニーニャデガルチが3番手、やや離れつつJRAユーコーマイケル4番手と、JRAの有力馬が出遅れたとはいえ、やはりJRA勢は油断ならない。
サカモトデュラブは600m34.3のハイラップで飛ばし、ピッタリとマークするカガヤキローマンとニーニャデガルチ。4番手以降を徐々に引き離し直線に入るが、ここでカガヤキローマンがサカモトデュラブを一気に交わし先頭に。そのままカガヤキローマンが押し切って3馬身の差を付けゴールした。2着もサカモトデュラブが粘り腰を見せ、ユーコーマイケルが迫るも2馬身差が精一杯だった。
「スピードがあるし、レースも思っていたよりも楽だったよ」と石崎隆之騎手。地方競馬が誇る韋駄天2頭が、そのスピードを存分に発揮した。
思えば交流初年。ライブリマウント、ホクトベガの圧倒的な力を見せ付けられ、サクラハイスピードも元はJRAからの転入馬。地方競馬の馬作りといった意味で危機的な状況の中、地方競馬生え抜きの「雑草」2頭が、「エリート」JRA馬を破るという、地方競馬に関わるものの溜飲を下げる、というよりはむしろ安堵すると言った方がいいか、当時そういった気持ちに包まれたことをよく覚えている。
サカモトデュラブも人気薄ばかりが注目されたが、99年にはこの東京盃を制しているように、この時代の強豪であったことには違いない。
翌年の北海道スプリントカップ(GV)で再びサカモトデュラブとのワン・ツー。そして東京盃を連覇。もっと勝っていたような気でいたが、実はダートグレード競走はこの3勝だけ。今ほど短距離のレースもなかったからだ。
そんな訳でレースを求め色々なところへ遠征したカガヤキローマン。高柳調教師、石崎隆之騎手や森下博騎手、越川厩務員、そして先輩の栗原正光TMも。どこへ行ってもこの顔ぶれと一緒だった。この年暮れに芝のCBC賞を使いに行き、そこで躓いて以来、常に脚元の不安を抱えるようになってしまった。その後苦労して使っていた厩舎の人たちの姿も垣間見てきた。
我々にとってカガヤキローマンは、思い出以上の存在だったと改めて思った。
文●小山内完友(日刊競馬)
写真●いちかんぽ
音声●耳目社
映像●プラスミック(現・山口シネマ)
(協力:特別区競馬組合)
写真●いちかんぽ
音声●耳目社
映像●プラスミック(現・山口シネマ)
(協力:特別区競馬組合)
第31回 東京盃(GU)(G2) 平成9年(1997年)10月2日 | |||||||||
サラ系4歳以上 1着賞金4700万円 大井1,200m 雨・良 | |||||||||
着順 |
枠番 |
馬番 |
馬名 |
所属 |
性齢 |
重量 |
騎手 |
タイム・着差 |
人気 |
1 | 6 | 11 | カガヤキローマン | 大井 | 牡5 | 54 | 石崎 隆之 | 1.11.8 | 3 |
2 | 4 | 7 | サカモトデュラブ | 岩手 | 牡5 | 54 | 小林 俊彦 | 3 | 11 |
3 | 2 | 2 | ユーコーマイケル | JRA | 牡5 | 55 | 水野 貴広 | 2 | 4 |
4 | 3 | 4 | トシヴォイス | JRA | 牡7 | 55 | 上村 洋行 | 1 | 5 |
5 | 5 | 8 | ドラールクラウン | 大井 | 牝6 | 52 | 堀 千亜樹 | 1/2 | 14 |
6 | 4 | 6 | リワードタイタン | 新潟 | 牡6 | 54 | 渡邉 正治 | 1/2 | 7 |
7 | 2 | 3 | デュークウェイン | JRA | 牡6 | 55 | 岡部 幸雄 | 1 | 1 |
8 | 1 | 1 | フジノマッケンオー | JRA | 牡7 | 58 | 武 豊 | アタマ | 2 |
9 | 8 | 14 | アカネタリヤ | 大井 | 牝6 | 52 | 藤江 昭徳 | 1/2 | 12 |
10 | 3 | 5 | ウィナーズステージ | 大井 | 牡9 | 54 | 森下 博 | 1 | 13 |
11 | 5 | 9 | ダンディーハート | 大井 | 牡6 | 55 | 内田 博幸 | ハナ | 8 |
12 | 7 | 12 | ニーニャデガルチ | JRA | 牝5 | 52 | 藤田 伸二 | アタマ | 6 |
13 | 6 | 10 | サンライフテイオー | 大井 | 牡5 | 55 | 早田 秀治 | 7 | 9 |
14 | 8 | 15 | ユキノゴールド | 金沢 | 牝5 | 52 | 中川 雅之 | 3 | 10 |
7 | 13 | バクシンマーチ | 大井 | 牡5 | 54 | 張田 京 | (除外) | ||
払戻金 単勝530円 複勝230円・1,760円・180円 枠連複3,390円 枠連単5,400円 馬連複24,730円 馬連単36,140円 |