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連載第30回 1995年 青峰特別

「新時代を自らの脚で切り開いたハシノタイユウ」
1995年青峰特別 ハシノタイユウ

 1995年は日本競馬の新たな時代の幕開けであった。本格的な「中央・地方交流」。それまでも地方競馬交流や、オールカマー等に出走することが出来たし、そこで好走すればジャパンカップに出走することが出来た。しかし、多くのGIは中央への移籍なくして出走は叶わなかった。中央のGI競走へ地方競馬在籍のまま出走できる。それは地方競馬のファンや厩舎関係者にとっても励みとなった。
 ご存知の通り、この「交流元年」のヒーロー・ヒロインは、笠松のライデンリーダーであり、中央のライブリマウントやホクトベガであった。そして足利のハシノタイユウもその1頭である。
 特に北関東ブロックの場合、中央GIへの出走は容易ではない。全国6ブロックのうち、北関東だけが唯一「トライアル代表馬選定競走」を行い、それに勝たなければならない。その後中央のトライアル競走に出走しGI競走への出走権を得なければならないのである。「JRA皐月賞トライアル代表選定競走」は2月5日、高崎競馬場で行われた「青峰特別」(1500m)である。

 寒い2月の高崎競馬場。曇り、良馬場。1番人気は4連勝で三才優駿を制した高崎のトドロキダービー、2番人気は8戦4勝2着4回の連対パーフェクトだった足利のナポレオンマルス、そして3番人気が足利のハシノタイユウ。
 スタートで人気のトドロキダービーが出遅れた上に躓き、6番手からのレースに。スターロッチスキーが逃げ、ハシノタイユウは2番手に付ける。2番人気のナポレオンマルスは中団5番手。出遅れたトドロキダービーが徐々に進出し3コーナー手前で3番手まで押し上げると、ハシノタイユウは一気にスパートし、4コーナーを先頭で回る。高崎競馬場は1周1200mの小回りだが、直線は300mと長い。
 直線に入りトドロキダービーが外から脚を伸ばしてくるが、早めに動いた影響か伸びが鈍い。さらに外から5番人気のトドロキチャンプが伸びる。残り100mを切りハシノタイユウも早めのスパートが影響し終い脚色鈍り、トドロキチャンプの猛追を受けたが、辛くもハナ差これを退け、トライアル競走の切符を手にした。
 高橋和宏騎手は「落ち着いていたし、スタートで仕掛けなくても好位に付けられたのでいける気はしました。追い出すタイミングが掴めなくて着差は少なかったですが、馬には余裕がありました。スピードのある馬なので芝はいいでしょう」と。
 それもそのはず、この馬は元々中央デビュー。3歳(当時)の8月7日、札幌競馬場で行われた芝1200mの新馬戦で2着している。勝ったのはサファイヤSと函館記念に勝ち、エリザベス女王杯2着のブライトサンディーで、3着馬は95年のダービー馬タヤスツヨシである。
 北関東ブロックの代表馬となったハシノタイユウが選んだステップ競走は、3月5日の弥生賞。レースは断然1番人気のフジキセキが直線抜け出し快勝。2馬身半差の2着に追い込んだホッカイルソー。ハシノタイユウは中団内から外に持ち出したが、直線の入口でホッカイルソーに前をカットされる不利。しかしそこから猛然と追い込み、最後はオートマチック、イブキタモンヤグラと並んでの3着争いに。長い写真判定の末3着となり、地方競馬所属馬としては初となる皐月賞出走権を手に入れた。
 単勝6番人気に推された皐月賞はパドックからイレ込みがキツく、レースでは4コーナー2番手外の絶好位に付けたが、直線で手応えを失って伸びを欠き、9着に敗れた。
 元々芝向きのスピード馬だけに、その後は北関東を中心に苦戦を強いられ、しもつけさつき賞、足利記念の重賞2勝を挙げただけとどまった。再び古馬GIへの挑戦が出来なかったことが、残念でならない。
 引退後はホースパライス群馬で乗馬となり、2011年の春に乗馬も引退。22歳となる現在も、功労馬として元気に余生を過ごしている。

文●小山内完友(日刊競馬)
写真●いちかんぽ