連載第57回 1998年 園田金盃
『小さな競馬場が生んだアラブの怪物』
1998年 園田金盃 ニホンカイユーノス
暮れも押し迫った1998年12月24日、園田競馬場でニホンカイユーノスの引退式が行われた。そして3日後の27日、益田競馬場でも引退式が行われた。日本海特別に勝った時と同じ4番のゼッケンを付け、コンビを組んだ位上良彦騎手とともに登場し、ファンに別れを告げ、第二の馬生(種牡馬)へと旅立って行った。
ニホンカイユーノスは父ビソウエルシド、母ニホンカイローレル、母の父イムラッドという血統のアングロアラブ。母と同じ芦毛だった。当時話題となったが、母ニホンカイローレルとその産駒はいずれも自動車の名前が付いていた。ただユーノスだけは社名ではなく、マツダのブランド名である。
その年の12月9日、園田競馬場で行われた園田金盃がニホンカイユーノスの引退レースだった。
5頭立てで行われた第41回園田金盃。重賞7勝のニホンカイユーノスを筆頭に、ケイエスヨシゼン、ノースタイガー、エイランボーイ、ユウターヒロボーイと、当時のトップホースが揃った。
ゲートが開いてエイランボーイが飛び出すが、それを制してノースタイガーがハナに立つ。エイランボーイは控えて2番手だが、行きたがる素振り。少し離れてユウターヒロボーイとケイエスヨシゼン。そしてニホンカイユーノスは最後方で1~2コーナーへ。
5月に行われた同距離の兵庫大賞典を逃げ切ったノースタイガーが快調に飛ばし馬群は縦長に。そこから5~6馬身離れてエイランボーイ、そしてユウターヒロボーイとケイエスヨシゼン。1周目の3~4コーナーでもニホンカイユーノスはどっしりと最後方待機。
レースが動いたのは2度目のスタンド前。岩田康誠騎手が乗るケイエスヨシゼンが、新春賞同様一気に仕掛けて1~2コーナーで先頭を奪う。それと呼応するようにニホンカイユーノスも仕掛け、2周目の向正面では内ケイエスヨシゼン、中ノースタイガー、外ニホンカイユーノス。
「岩田と小牧!」。吉田アナの絶叫が聞こえてきそうな、園田競馬90年代後半の名勝負に欠かせないシーンである。
2周目の3~4コーナーを回って最後の直線でノースタイガーが脱落し、内で抵抗するケイエスヨシゼンをニホンカイユーノスが並ぶまもなく交わし、4馬身、5馬身と引き離したところでゴール。見事有終の美を飾った。2着はケイエスヨシゼン、3着は4馬身離されノースタイガーだった。
今年重賞6勝目。通算8勝目。前走姫路の白鷺賞は63キロを背負い、ユウターヒロボーイに6馬身差圧勝だっただけに、前走比マイナス7キロの56キロを背負ったここは「裸同然」だったろう。
「僕はまたがっていただけですよ」と小牧太騎手。このレースに先立って行われたある座談会でも「何も考えなくても勝てる(笑)」と語っていたが、「何も考えなくても」というのは謙遜としても、それだけの自信が持てるほどの強さを持っていたことは間違いない。
アラブ系競走縮小の流れのなか、種牡馬としても福山桜花賞など重賞7勝を挙げたユノエージェント等を輩出するなど、「怪物ぶり」を発揮している。
文●日刊競馬 小山内 完友
写真●いちかんぽ
競走成績
第41回 園田金盃 平成10年(1998年)12月9日 |
アラブ系4歳以上 1着賞金1,100万円 園田 2,300m 晴・重 |
着順 |
枠番 |
馬番 |
馬名 |
性齢 |
重量 |
騎手 |
タイム・着差 |
人気 |
1 |
3 |
3 |
二ホンカイユーノス |
牡5 |
56 |
小牧太 |
2.36.8 |
1 |
2 |
2 |
2 |
ケイエスヨシゼン |
牡6 |
56 |
岩田康誠 |
5 |
2 |
3 |
4 |
4 |
ノースタイガー |
牡5 |
56 |
永島太郎 |
4 |
3 |
4 |
5 |
5 |
ユウタ―ヒロボーイ |
牡5 |
56 |
平松徳彦 |
1 1/2 |
5 |
5 |
1 |
1 |
エイランボーイ |
牡5 |
56 |
木村健 |
2 |
4 |
払戻金 単勝140円 複勝100円・100円 枠連複240円 |