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第2回ジョッキーマスターズ
2008年11月9日(日) JRA東京競馬場 1600m
直線見ごたえある叩き合い、竹見騎手は惜しくも2着
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23年ぶりに日本で行われるアジア競馬会議に合わせての開催となった「第2回ジョッキーマスターズ」。昨年の第1回はJRAの元騎手のみで争われたが、今年は1989年のジャパンカップをホーリックスで制したランス・オサリバン騎手(ニュージーランド出身)、1995年の同レースをランドで制したマイケル・ロバーツ騎手(南アフリカ出身)を招待し、国際色豊かなものとなった。
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そして地方競馬からも、佐々木竹見騎手が参戦した。
ジョッキーマスターズの発走は、この日のレースがすべて終了した後の16時40分。しかしパドックには、最終レースのスタート前から多くのファンが詰め掛けた。そのパドックで注目を集めたのは、52キロという竹見騎手の斤量。このレースの負担重量は、馬ごとに調整されたわけではなく、それぞれのジョッキーが鞍を持って計量したそのままの重量。最高重量はロバーツ騎手の62キロで、竹見騎手はもちろん最軽量。67歳は8名のメンバーで最年長だが、現役時の体型を維持しているのは竹見騎手だけではないかとも思われた。
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竹見騎手が現役を引退したのは2001年のこと。その後、オーストラリアのメルボルンカップ・フェスティバルで行われた「レジェンドレース」に02年と04年に参戦していることから、引退した著名騎手のレースに騎乗するのはこれが3度目。そのレジェンドレースのときにも、現役時と変わらぬ体型を海外の元ジョッキーたちからうらやましがられたそうだ。
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パドックで各騎手が騎乗すると、若手現役ジョッキーが引き手を持ってサポート。竹見騎手の馬は内田博幸騎手が引くという粋な計らいもあった。 |
そして本馬場入場。杉本清アナから「勝ちも勝ったり、7153勝。佐々木竹見騎手です」と紹介された。
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竹見騎手は5番枠からまずまずのスタートを切ると、ハナに立った河内洋騎手の外、ピタリと半馬身ほどの差で追走した。 |
スタートこそ各馬とも慎重に出た感じだったが、杉本アナの実況によると800メートルの通過は48秒。エキシビジョンレースとは思えないペースで、先行6頭がほぼ一団でレースを進めた。
直線を向くと、竹見騎手は一旦4番手まで位置取りを下げた。しかし、右ムチを1発、2発と入れると、先頭の河内騎手との差を詰め、外から馬体を併せにかかった。勢いそのままに差し切るかにも見えたが、河内騎手は最後までハナを譲らずジョッキーマスターズ連覇を果たした。
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岡部幸雄騎手が内から伸び、2着争いは写真判定となったが、竹見騎手が岡部騎手をアタマ差でしりぞけ、河内騎手から半馬身差の2着と健闘。直線で一旦は先頭をうかがったオサリバン騎手もよく粘り、岡部騎手とはクビ差の4着だった。
勝ちタイムは1分37秒4。ゴール前4頭一団の叩き合いは、通常のレースと見まごうほど迫力のあるものだった。
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それもそのはず、競馬学校の馬を使った昨年とは違い、今年はJRAの職員が厩舎に声をかけ、引退間近、または引退を決めたばかりの馬たちを集めたのだそうだ。竹見騎手が騎乗したファディスタも、10月4日のレースを最後に引退したばかりだった。
レース後のインタビューでは「疲れた」「息が切れた」と語る騎手が多いなか、竹見騎手は「十分楽しめました」と淡々と語り、ここでも若々しさを見せた。
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なお、この日の昼休みには、1991年1月の引退式以来となるオグリキャップが東京競馬場のパドックに登場。かつてを知るファンにとってはもちろん、ジョッキーマスターズ出場騎手やオグリキャップの現役時代を見ていないファンにとっても、さまざまに楽しめる1日だった。
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大勢のファンを前に興奮気味? | 感動をありがとう! |
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レース後の表彰式にて | JRA土川理事長より「シルバーステッキ」の授与 |
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1着:河内洋騎手
思ったよりいいスタートが切れて、まさか先頭に行けるとは思いませんでした。ゲートを外目に置いてくれていたので、馬場のいいところを選んで走りました。どこまで粘ってくれるかと思っていたんですが、よくがんばってくれました。
2着:佐々木竹見騎手
よく走ったほうじゃないですか。道中は思ったようなところにつけられました。最後の直線は無我夢中でした。こういうレースに出場できてよかった、楽しかったです。
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