浅野靖典の全国馬美味(ウマウマ)行脚」地方競馬にまつわる「ウマいもの」を毎月ご紹介!
“鉄人”佐々木竹見の見解」佐々木竹見元騎手がダートグレード各競走を“鉄人”の目線で鋭く解説!
高橋華代子の(続)気になるあの馬は…」引退後や転厩した名馬の近況を愛あふれる文章でご紹介!
REWIND 90's」当時の写真や映像を交えて90年代の名勝負を振り返ります!

連載第48回 1991年 シアンモア記念

『小岩井農場100周年を飾るマッチレース』
1991年 シアンモア記念 スイフトセイダイ

 “マッチレース”と聞いてどのレースを思い浮かべるかは、それぞれの競馬歴における場所と時間で異なってくると思う。筆者の場合であれば、ナリタブライアンとマヤノトップガンの阪神大賞典であったり、地方競馬ならトチノミネフジとスズノキャスターの全日本アラブ大賞典であったり。

 たとえば映画にもなったシービスケットとウォーアドミラルや、最後悲劇で幕を閉じたフーリッシュプレジャーとラフィアンのような、厳密な意味でのマッチレースは日本では知る限り行われていないが、「相手はこの馬だけ」と互いに認め合い、何者の入る隙をも許さないような、馬体を合わせての“マッチレース”は観ている時も、観た後も、そして何年経ってもその時の興奮が蘇ってくるものだ。

 1991年7月21日、盛岡競馬場で行われた第17回シアンモア記念が行われた。
 シアンモアとは1927年(昭和2年)に日本へ輸入され、岩手県の小岩井農場で繋養されていた種牡馬。下総御料牧場のトウルヌソルと2大種牡馬時代を築いた。第1回の東京大優駿(現在の日本ダービー)はトウルヌソル産駒のワカタカが勝ち、シアンモア産駒のオオツカヤマが2着。シアンモア産駒はその後1933年のカブトヤマ、1934年のフレーモア、1935年のガヴァナーと、東京優駿大競走を3連覇するなどしている。

 小岩井農場は1891年(明治24年)に日本鉄道会社副社長の小野義眞、三菱社社長の岩崎彌之助、鉄道庁長官の井上勝の3名により創設され、3人の頭文字を採り「小岩井」農場と名付けられた、という。

 それからちょうど開業100周年にあたる年であった。

 主役はスイフトセイダイ。水沢でデビューし、南部駒賞や東北サラブレッド3歳チャンピオンを含む9連勝。2着2回の後、ダイヤモンドC、不来方賞、ダービーグランプリに勝ち、さらに現3歳の暮れには1戦だけ大井に移籍して東京大賞典に挑戦し、当時地方競馬最強の女傑と呼ばれたロジータの2着。

 明けて古馬になってからもみちのく大賞典や東北サラブレッド大賞典を制し、再び大井に移籍してグランドチャンピオン2000、東京大賞典はいずれも2着と、野心的な馬であった。

 そしてもう1頭がグレートホープ。スイフトセイダイとは同世代だが、不来方賞など主要なレースでは常に2~3番手の存在であったが、7度目の直接対決となった現5歳のみちのく大賞典で、スイフトセイダイと並ぶ1着同着。続く赤松杯は返り討ちに遭う4着。スイフトセイダイに並ぶところまでは行けるが、超えることがなかなか出来なかった。

 ゲートが開いて、デビュー以来1度も逃げたことのないグレートホープが、押して意表を突くハナに。1枠ではあったが、「打倒スイフトセイダイ」という陣営の並々ならぬ執念を感じる。そして1周目のゴール板前で7枠のスイフトセイダイが外から並びかけ、ピッタリマークの2番手に。

 3番手にソダカザン、ワンダーソロン、シャドウイメージ、アキノノーザリーとひと固まり。セーヌボーイが後ろから2番手、最後方がシュンユウロマン。

 向正面中間から3コーナーの登り坂で、グレートホープがスイフトセイダイとの差を開き始める。スイフトセイダイの小竹騎手は快調に逃げるグレートホープを見て、手綱をしごき始めた。

 坂を下った3~4コーナー中間で、スイフトセイダイがグレートホープに並びかけ、馬体を併せて一騎打ちスの様相に。3番手以降は次第に差を付けられ始める。

 残り200メートルで外スイフトセイダイが前に出るが、そこからグレートホープが差し返す。2頭の馬体を併せた叩き合いはゴールまで続き、最後の最後にスイフトセイダイが盛り返してゴールイン。

 タイムは2分4秒7のレコード! 1、2着の着差はアタマ差。そして3着シャドウイメージとの差は8馬身。直線は完全に2頭の“マッチレース”であった。

 「まさかグレートホープが逃げるとは思いませんでしたが、かえってレースはしやすかったです。直線で交わしに行きましたが、相手も渋太くてなかなか交わせませんでした。本当に強い馬で、今日接戦になったのは騎手のせいです」と笑う小竹騎手。

 このレースで30戦23勝2着7回の連対パーフェクト。

 みちのくに敵なしとなったスイフトセイダイは次走、中山のオールカマーに挑戦し、5着と健闘する。グレートホープとのいわゆる「SG時代」は翌年まで続き、数々の名勝負を繰り広げている。その後はトウケイニセイとモリユウプリンスによる「TM時代」に世代交代となり、94年12月18日の水沢競馬一般戦3着を最後に引退、種牡馬となった。

 青森の競馬牧場で種牡馬となったが、目立った産駒を残すことが出来ず、2002年に種牡馬引退、同牧場で余生を過ごしている。
文●日刊競馬 小山内完友
写真●いちかんぽ
競走成績
第17回 シアンモア記念 平成3年(1991年)7月21日
  サラブレッド系 1着賞金1,500万円 盛岡 2,000m 晴・やや重
着順
枠番
馬番
馬名
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 7 7 スイフトセイダイ 牡6 59 小竹清一 2.04.7 1
2 1 1 グレートホープ 牡6 58 菅原勲 アタマ 2
3 6 6 シヤドウイメージ 牡7 56 佐々木陸男 8 3
4 2 2 ソダカザン 牡8 56 佐藤浩一 5 4
5 3 3 セーヌボーイ 牡8 55 三野宮通 3/4 6
6 4 4 アキノノーザリー 牡7 54 佐藤雅彦 2 8
7 8 8 シユンユウロマン 牝5 53 石川榮 1 1/2 7
8 5 5 ワンダーソロン 牡7 55 千田知幸 8 5
払戻金 単勝120円 複勝100円・120円・170円 枠連複170円