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連載第21回 1993年 ダービーグランプリ

「思い知らされたミスタールドルフの凄さ」
1993年ダービーグランプリ ミスタールドルフ

第8回 ダービーグランプリ
Movie(映像ファイルサイズ:19MB)
 ダービーグランプリは大きく三期に分けることができる。
 全国の地方競馬3歳に声をかけて創設した1986年から1995年までが第一期。
 第二期は1996年、新盛岡競馬場=OROパークの完成に伴い、舞台を水沢から盛岡へ移し、JRAにも門戸を開放。名実ともにダート3歳最強馬決定戦にグレードアップした2006年まで。
 2007年、馬インフルエンザが全国へまん延し、ダービーグランプリは地元重賞での開催を余儀なくされ、GⅠを返上。翌年から休止。
 そして第三期は2年前、原点回帰し地方競馬交流で復活した2010年から現在。今年は11月25日、水沢2000mを舞台に第25回ダービーグランプリが行われる。

 改めて振り返ると1990年代は、競走馬が最も成長する3歳馬のような10年間だったとも言える。
 その第一期から第二期にまたがる90年代で最も印象に残っているのがトミシノポルンガ、ミスタールドルフ。
 もちろんダービーグランプリがJRA、地方交流へ昇格したことを祝し、皐月賞馬イシノサンデーがOROパークへ見参。石崎隆之騎手とのコンビで優勝した第11回は、新時代突入を象徴する出来事(前走・スーパーダートダービー=3着でもコンビを組んだが)だった。

 ただ、レースパフォーマンスという意味ではトミシノポルンガ、ミスタールドルフの方が強烈だった。仮に使命があるとすれば、後世に語り継がなければならないとまで思っている。

 今でも思い出す。1992年、第7回。トミシノポルンガが後方にいて1周1200m水沢の3コーナーで馬群に取りつけたとき、陣営は「勝ったな」と確信したという。常識的にはありえないが、そのとおりの結果を出した。
 これが安藤勝己騎手の通算2000勝目。ダービーグランプリを優勝して記録達成すると“確信”していたというのだから、大胆不敵。さすがアンカツ。


 ミスタールドルフが優勝したのは翌1993年。この年のダービーグランプリは1着賞金5千万円にふさわしく、そうそうたる顔ぶれとなった。
 北海道二冠馬ササノコバン(父スズカコバン)、とちぎダービー馬ネイティブハンター(父ホープフリーオン)、東海ダービー馬サブリナチェリー(父ワカオライデン)、サラブレッドチャレンジカップ(地方交流・金沢)1、2着馬ヨシノキング(父キングオブダービー)、ミスタールドルフ(父シンボリルドルフ)。ヨシノキングは高崎皐月賞、ミスタールドルフは金沢版ダービー・北日本新聞杯も勝っている。
 極めつけは東京ダービー馬プレザント(父リーファーズゴースト)。創設8回目にして初めて東京ダービー馬がついに参戦した。
 一方、岩手勢は東北優駿、岩手版ダービー(当時)・不来方賞の二大タイトルを制したエビスサクラ(父リーファーマッドネス)を大将格に、不来方賞2着トウホクグラス(父グリーングラス)。
 第8回ダービーグランプリは、まさにダービー馬によるダービーの祭典。各陣営とも全国制覇の野望に燃え勇躍、水沢へと集結した。

 恥を忍んで当時、ケイシュウニュース紙上の個人予想を公表したい。
⑦プレザント
⑨ヨシノキング
③サブリナチェリー
②ミスタールドルフ
× ⑤エビスサクラ

1着・ミスタールドルフ 2分7秒5(レコード)
2着・ヨシノキング
3着・エビスサクラ
4着・ササノコバン
5着・アンダーキング

 ヨシノキングはプレザントの出鼻を叩いて果敢に逃げ、直線最内で粘って2着。プレザントは3コーナー過ぎに失速、しんがり10着。
 ミスタールドルフは馬群から離れた後方3番手を進み、向正面から大外を回ってスパート。4コーナーでは早くも2番手に進出し、あとは内で必死に粘るヨシノキングをラスト50mで交わして1馬身差でゴール。今でも水沢競馬場にある電光掲示板のタイム箇所が点滅し、レコードであることを表示。従来の水沢2000mレコードを0秒6も更新した。

 当時、ビッグレースが水沢であるときは早朝、盛岡から車を走らせて調教を見に行った。できる限り自分の目で確認したいからだが、ミスタールドルフの歩様を見て驚き、とまどった。
 明らかに跛行(はこう)していたし、肩の出方もきゅう屈。これで本当に走るのかなと。関係者に聞いたらいつものことだそうだが、改めてミスタールドルフのすごさを思い知った。
 
 飯沼三郎調教師は戦時中、軍馬の装蹄をし、調教師を開業してから何頭もの競走馬を再生したそうだが、この年を最後に勇退した。
 渡辺壮騎手は7701戦2086勝。勝率27.1%、連対率43.6%という驚異的な数字を挙げながら脳梗塞を患い、2006年に騎手免許を返上した。
 またミスタールドルフは以降、慢性的な脚部不安に悩まされたのだろう。繰り上がり1着も含め5勝に止まり、36戦15勝を成績を残して引退した。
 その後は金沢大学の乗馬でも活躍したのを知り、一流馬は別の道に進んでも頭角を現すのだなと思った。数多くの成功例を見聞きしてきたが、学習能力が高く、何よりも気持ちが前向きなのだそうだ。

 1993年11月21日、晩秋の水沢。コースロス関係なしに豪快なストライドで突き抜けていったミスタールドルフの姿は、一生忘れることはない。自省も込めて。
文●松尾康司
写真●いちかんぽ
競走成績
第8回 ダービーグランプリ 平成5年(1993年)11月21日
  サラ系4歳 1着賞金5000万円 水沢2,000m 雨・重
着順
枠番
馬番
馬名
所属
性齢
重量
騎手
タイム・着差
人気
1 2 2 ミスタールドルフ 金沢 牡4 55 渡邉 壮 2:07:5 2
2 8 9 ヨシノキング 高崎 牡4 55 茂呂菊次郎 1 3
3 5 5 エビスサクラ 岩手 牡4 55 菅原 勲 4 6
4 7 8 ササノコバン 北海道 牡4 55 千葉津代士 2 5
5 8 10 アンダーキング 岩手 牡4 55 千田 知幸 4 10
6 6 6 トウホクグラス 岩手 牡4 55 小竹 清一 1 7
7 4 4 シュンユウミライ 岩手 牝4 53 小林 俊彦 ハナ 8
8 3 3 サブリナチェリー 笠松 牡4 55 仙道 光男 クビ 4
9 1 1 ネイティブハンター 宇都宮 牡4 55 長島 茂夫 1/2 9
10 7 7 プレザント 船橋 牡4 55 桑島 孝春 5 1
払戻金  単勝580円  複勝220円・240円・240円  枠連複1080円