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佐々木竹見元騎手がダートグレード各競走を“鉄人”の目線で鋭く解説!

2019年12月5日(木)

第104回 エーデルワイス賞~JBCクラシック

エーデルワイス賞 JpnⅢ

コーラルツッキーは好スタートから位置取りを下げました。外枠(15頭立て14番枠)だったので、無理して行けば終いの脚がなくなると考えたのでしょう。有力馬を前に見ながらレースを進められたのもよかったと思います。3~4コーナーでは大外からまくるように上がって、上り37秒5、直線ではよく伸びてきました。1200メートルなので、先を争って行く馬が多いので、それらを見ながら包まれずに行ける外枠はよかったと思います。

アザワクは3番手から直線で前をとらえて抜け出しました。正攻法の競馬で、普通なら勝っていてもおかしくないレースでした。ただ前が速かったぶん、直線で脚を使ったコーラルツッキーにとらえられてしまいました。

JBCレディスクラシック JpnⅠ

行きたい馬が多く前はハイペースとなって、勝ったヤマニンアンプリメは中団からの追走でした。逃げたゴールドクイーン以外の先行勢が追走一杯になった3コーナー手前から一気に位置取りを上げていきました。前半、無理に行かなかったぶん、逃げていたゴールドクイーンを直線でとらえてからは余裕がありました。

ゴールドクイーンは、少し飛ばしすぎたように思います。2コーナーを回ったあたりで抑えればよかったと思いますが、向正面に入ってもそのままの勢いで行ってしまいました。もう少し後続を引き付けられたらよかったと思います。浦和1400メートルでは前が競り合ってハイペースになることがよくあります。ただゴールドクイーンは、無理やりという感じで行って2着に残ったということでは、能力は高いです。

スタート後の直線、モンペルデュの落馬は残念でした。タイセイラナキラの矢野騎手はラチ沿いでハナを獲りたかったのか、ちょっと内に寄り過ぎました。モンペルデュの戸崎騎手にしても、行くつもりで勢いをつけて行っていますから、すぐに下げるというわけにもいかなかったのでしょう。

ヤマニンアンプリメの武騎手はうまく落馬を避けて位置取りを下げることになりましたが、前がハイペースになったぶん、結果的にそれがいい位置取りになりました。

JBCスプリント JpnⅠ

勝ったブルドッグボスは、中団よりうしろからの追走でした。先行したこともある馬ですが、御神本騎手は前が速いと思ったのでしょう。1コーナーに入る手前で控えています。人気薄ゆえ無理には行かなかったということもあると思いますが、御神本騎手は好騎乗でした。

コパノキッキングは、おそらく積極的に2、3番手につけてという指示だったのかもしれません。4コーナー手前で先頭に立ったところで一瞬抑えるようなところがありましたが、そのまま追っていってもっと差を広げてしまえばよかったように思います。ただそれは結果論で、藤田菜七子騎手はうまく乗っていただけに残念でした。逃げたのがノブワイルドですから、それをみずから負かしにいかなければならないということでも、難しいレースだったと思います。

抜群のスタートを切ったノブワイルドは、1~2コーナーでハナを取りきったら、やはり抑えて行きました。今回は競りかけてくる馬が何頭かいて、コパノキッキングに早めに並びかけられましたから、単騎逃げのオーバルスプリントとは違って厳しいレースになりました。

JBCクラシック JpnⅠ

チュウワウィザードは、前が競り合って行って離れた4番手。理想的な位置につけました。向正面でセンチュリオンが並びかけてきたタイミングで、川田騎手も動きました。オメガパフュームも直後に迫っていたところ、チュウワウィザードはこのタイミングで行けたのは結果的によかったと思います。ここで仕掛けのタイミングが遅れていたら、オメガパフュームに早めに並びかけられて、競り負けていたかもしれません。ハナ差は運もありましたが、先に行って早めに仕掛けたぶん、有利だったと思います。

オメガパフュームは、前半は後方3番手から。たしかに前が速かったので、その位置取りでもよかったと思います。じわじわと位置取りを上げていって、ゴールの瞬間は勝ったようにも見えましたが、残念でした。帝王賞とは1、2着が逆の決着となりましたが、オメガパフュームは、追って追ってじりじりと脚を使う馬ですから、直線の長い大井ならやはり有利になります。

佐々木竹見(ささきたけみ)

元川崎競馬所属騎手。地方競馬通算7,151勝という世界歴代6位(当時)の勝ち鞍を挙げ、2001年7月8日に騎手を引退。
引退後も2012年3月までNAR地方競馬全国協会参与として後進の指導にあたる等、地方競馬の発展に大きな役割を果たし続けている。