2011年、地方競馬では競走距離1000メートル以下のレースのみで構成される新企画『地方競馬スーパースプリントシリーズ(略称:SSS)』を、6月14日(火)〜7月21日(木)の間、トライアル5戦およびファイナルの計6戦で実施します。

 SSSとは、超短距離戦で能力を発揮する異才の発掘と、各地方競馬場で実施可能な最短距離を極力活かすため1ターン(コーナー通過が3〜4コーナーのみ)のスプリント戦をシリーズとして実施するもので、各地区の超スピードホースが、トライアル、そしてファイナルで極限の速さを競い、初夏の1カ月間を大いに盛り上げることが期待されます。

 当シリーズの実施に先駆け、2010年10月から2011年3月まで実施された「九州スーパースプリントシリーズ」(25競走、九州地区交流)では、ギオンゴールド(シリーズ4勝)やアビンニャー(シリーズ5勝)(いずれも佐賀所属)などが、その才能を開花させています。
 また、九州スーパースプリントシリーズの特色のひとつであった「そーにゃ速かスプリント」や「ばらい速かスプリント」など地方独特の表現を用いた競走名称は、SSSにも引き継がれています。
 
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2011年スーパースプリントシリーズの総括はこちらです。
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スピード能力の違いで圧倒
さらなる高みへステップアップ

 新設された習志野きらっとスプリントは、スーパースプリントシリーズのファイナルらしく、見ごたえのあるスピード勝負となった。そして全国のトライアルで優先出走権を得た6頭のうち4頭が出走してきたということも、このシリーズの注目度を高めた要因だろう。
 人気の2頭、ジーエスライカーとラブミーチャンが持ち前のスタートダッシュでハナを争った。が、ラブミーチャンの鞍上、濱口楠彦騎手の動きが何かおかしい。下を確認するような感じで、馬の脚元を気にしているようにも見えた。あとで聞いたところによると、スタートで片方の鐙が外れたのだそうだ。それでもジーエスライカーに半馬身と離されず追走していったラブミーチャンのスピードと、濱口騎手の落ち着いた騎乗ぶりが窮地を救った。
 3コーナー手前あたりではすでに鐙を直していたのだろうか。ラブミーチャンは、3コーナー過ぎで外からジーエスライカーにじわじわと並びかけた。4コーナーを回ると、外のラブミーチャンがスタンド側からよく見える位置関係になる。なんと、濱口騎手はまだ手綱を抑えたままだ。
 「なるべく追い出しを遅くした」という濱口騎手。そして柳江調教師は、「ペースを読んで、今日の馬のデキも読んで、ゴール前でまだ動けるパワーを残していてくれたのは、濱口騎手がラブミーチャンをよく知っているからでしょう」と。
 ともすれば展開など関係なしのこの超短距離戦で、追い出しを我慢できるということこそが、ラブミーチャンのスピード能力の高さなのだろう。直線ではじわじわとジーエスライカーを離しにかかり、最後は1馬身半差。JBCスプリントJpnTを制して引退したサウスヴィグラス産駒のワンツーという結果も、スーパースプリントシリーズのファイナルとしては象徴的だ。
 川崎スパーキングスプリントを制してここに臨んだコアレスピューマは、さらに5馬身離されての3着。上位5着までは、1、2番人気が入れ替わっただけで人気順の決着となったが、3着以下のジョッキーが「スピードのレベルが違った」というほど、そのスピード能力には決定的な差があった。
 ラブミーチャンは、あらためて言うまでもなく、全日本2歳優駿JpnTを制してダートの2歳チャンピオンとなり、NARグランプリで年度代表馬の座も獲得。しかし昨年3歳時は、地元のゴールドジュニアと門別のエトワール賞こそ制したものの、2歳時の快進撃を思うと物足りない結果も少なくはなかった。柳江調教師によると、昨年は裂蹄や気性面など、常にさまざまな問題を抱えていたという。それら数々の問題をひとつひとつ解決して、久々に結果を出したのが、名古屋でら馬スプリントでのレコード勝ちであり、そしてそれが今回の勝利へとつながった。
 古馬になって、あらためてひとつひとつ階段を登りはじめたラブミーチャンの次のステップは、JpnVのクラスターカップ(盛岡)。それは単に交流のJpnVにレースの格をステップアップするというだけではない。800メートル、1000メートルときて、次は1200メートル。盛岡では直線の坂もあらたな課題となる。
 昨年、目標としながら出走すらかなわなかったJBCスプリントJpnTに向けて、どこまで階段を登れるか。大人になったラブミーチャンにあらためて注目だ。
濱口楠彦騎手
今日のラブミーチャンは速くて強かったですね。パドックはいつもと変わりなかったんですが、この雰囲気ならなんとかなるんじゃないかなと思っていました。速い馬がいれば2番手でも3番手でもと思っていたんですが、結果的に2番手からになりました。4歳になって精神面が落ち着いて、よくなってきました。
柳江仁調教師
さきたま杯のときはトモがちょっと甘かったんですが、前走の名古屋からよくなってきました。パドックでも落ち着いていて、4歳になって競走馬として大人になったところを見せてくれました。流れ込むだけの一介の逃げ馬ではなく、2番手からひとふんばりして動けたという、新しい面が見えたのは収穫でした。

取材・文:斎藤修
写真:いちかんぽ(国分智、川村章子)