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当時の写真や映像を交えて90年代の名勝負を振り返ります!

2019年5月15日(水)

第61回 『狂気の快速馬 ドルフィンボーイ』
1994年 東京大賞典
 ドルフィンボーイ

「川崎に凄い馬が入ったぞ」と先輩トラックマンから。その「凄い馬」の噂が広まるのは、それほど時間は掛からなかった。乗ろうとすればロデオばりに暴れ、乗ったら猛ダッシュでラチ手前で急にターンして乗り手を振り落そうとする。そういう類の「凄い馬」だった。

色々聞いているうちに、最初中央の阿部新生厩舎に入ったが、そこで厩務員を何人か病院送りにして、牧場に返されたところを川崎の佐々木国廣調教師に預かってもらうことになったらしい。担当は池田孝厩務員(現調教師)。ほとんどブレーキングも出来ていない状態で、いきなり小向(厩舎)に入れるのは危険、ということで、多摩の米軍キャンプにある乗馬クラブに預かってもらい、池田厩務員が通って馴致を一からやり直したそうだ。

2歳の7月、小向の厩舎に入厩。「凄い馬」の噂を聞いたのは、それからも間もなくのことである。その馬の名はドルフィンボーイ。小向入厩後も池田厩務員と八木正喜厩務員(現調教師)、加納龍生騎手が死に物狂いで調教を続けていた。角馬場内で池田厩務員を乗せたまま全速力で走り回ったり、引き綱を握る八木厩務員を何メートルも引きずり回したり。さすがに他の厩舎も同じ時間に馬場入りするのを止めるほど。

デビュー前のエピソードとして有名なのが、調教後馬場から上がってきたドルフィンボーイが突然走りだし、土手の上の車道に飛び出して、そこを通りがかったトラックの前で転倒。池田厩務員は道路に投げ出され、馬はコンクリートの壁に激突。ちょうど信号が赤でトラックは停車中で、人馬ともに無事であったが、一歩間違えば危なかった。

デビューに向けて調教が進んでいた9月。ゲート練習にまでこぎつけたが、ここでも他の厩務員達が手伝い、十数人がかりでゲートに入れたがすぐ飛び出してしまったり、ある日はまた十数人がかりでなんとか入れたが、ゲートの扉を壊して飛び出したり。それでもなんとかゲートに入るようになり、ようやく能力試験に出せるまでになった。

10月27日の能力試験は。馬なり51秒1の好タイムで一発合格。11月18日の新馬戦はスタートで躓き2番手を進むも、終い一杯一杯で5着に敗れた。続く12月3日の3歳戦は1400m1分31秒3のタイムで、2着に20馬身!の差を付ける圧勝で初勝利を挙げる。466キロだった新馬戦から18キロ馬体を絞り、この馬が持つ本来のスピードが活かされた。

ドルフィンボーイはその後連勝を続け、羽田盃をめざしクラウンカップに駒を進める。元々左前脚に難を抱えていたが、この頃にはレース後負担が掛かって腫れるようになっていた。削蹄でなんとか腫れが収まり、無事出走し羽田盃の権利を掴んだが、レース後また腫れて。以降その繰り返しで、思うように調整できない状態が続いていた。

羽田盃14着、東京ダービー10着。のちに聞いたことだが、この馬は調教がレースに反映されるタイプで、十分な調教量がこなせないとレースでも息が持たない馬だった。

秋に入って自己条件を叩き、戸塚記念を快勝。この頃から重めも快勝し、馬がガラッと良くなってきた。続く3冠最後の東京王冠賞では、羽田盃馬スペクタクル、東京ダービー馬カネショウゴールドらを引き連れ、他馬に先頭を譲ることなく2600mを逃げ切り快勝。2着は後に川崎記念など重賞10勝するアマゾンオペラ。名実ともに世代の頂点に立った。

脚元に不安を抱えていたドルフィンボーイだったが、東京王冠賞の後も比較的落ち着いていたため、陣営は東京大賞典への出走を決断する。

3000mから2800mに距離が短縮されてから、逃げ切り勝ちは皆無。逃げ馬の連対も平成元年~2年のスイフトセイダイ2着があり、以降は連対すらないというレース。当時の東京大賞典はファン投票だったが、ドルフィンボーイは推薦での出走。それでもファンはドルフィンボーイを1番人気に推した。2番人気に決め手鋭いアレアズマ、3番人気は重賞4連勝中のサクラハイスピード。

446キロと最高の仕上がりで臨んだドルフィンボーイ。ゲートが開いて迷わず逃げる。2番手にカネショウホープとサクラハイスピードだが、最初のスタンド前では既に約10馬身ほどの差が開いていた。前半の5ハロンは61.9のハイペース。3コーナー手前でウィナーズステージが仕掛け、直後に迫る。「急に手応えがなくなった」と山崎尋美騎手。4コーナーをまわって最後の直線。2馬身後方にウィナーズステージ、そしてその外にスペクタクルが迫る。

残り100の標識。直後にまで迫ったウィナーズステージを、なんとここで息を吹き返したドルフィンボーイは、二の足を使って引き離し、1馬身半の差を付け逃げ切った。

「苦しかった」と言う山崎尋美騎手、とは対照的に「いつものレースをすれば勝てると思っていた」と佐々木国廣調教師。

2歳時の暴れっぷりは影を潜めたものの、レース振りも佇まいも、一歩間違えばどう転ぶか分からない、まだどこかに狂気を隠しているような、危ない魅力を感じる個性派だった。

その後はJRA挑戦を目指すも、脚元の具合が思わしくなく、復帰は2年後の秋。浦和記念となった。

ホクトベガ、キョウトシチー、アドマイヤボサツ。JRAの強豪馬が揃った中、2年ぶり、プラス30キロもあり7番人気だった。ただ無事に回って来てくれればよかったのだが、スタートで躓き骨折。そのまま3コーナー過ぎまで走り競走中止。上がってきた岩城騎手も「脚が…」と言ったきり無言。

圧倒的な強さを見せたJRA勢よりも、ドルフィンボーイが積まれた馬運車が目の前を通り過ぎるのをただ茫然と見ていたことだけは覚えている。

  • 文・日刊競馬
  • 小山内 完友
  • 写真
  • いちかんぽ

東京大賞典 平成6年(1994年)12月23日

サラブレッド系 1着賞金6,500万円 大井 2,800m 晴・良

着順 枠番 馬番 馬名 性齢 重量 騎手 タイム・着差 人気
1 3 3 ドルフィンボーイ 牡4 54 山崎尋美 3.00.6 1
2 8 10 ウィナーズステージ 牡6 56 佐藤祐樹 1 1/2 6
3 7 8 ワカクサホマレ 牡6 56 佐々木竹見 3/4 9
4 4 4 カネショウホープ 牡5 56 早田秀治 1/2 7
5 5 5 ガンガディーン 牡5 56 桑島孝春 クビ 4
6 1 1 アレアズマ 牡6 56 石崎隆之 ハナ 2
7 6 7 ノーブルウイナー 牡7 55 宮浦正行 1 1/2 8
8 2 2 スペクタクル 牡4 54 張田京 2 5
9 6 6 ピッツドリーム 牡5 56 西川栄二 3/4 10
10 7 9 サクラハイスピード 牡7 55 高橋三郎 3 3
11 8 11 イーグルトウコウ 牡5 56 森下博 2 1/2 11

払戻金 単勝290円 複勝170円・360円・710円 枠連複2,640円