2009年6月5日(金) 名古屋競馬場 1,900m


 

雨中の逃走劇で圧倒、ダイナマイトな牝馬とともに掴んだ鞍上の夢

 
朝から降り続いていた雨は、東海ダービーのスタートを迎えても止む気配はなく、随所に水が浮き上がるほどの不良馬場となった。この馬場状態が、勝負の行方を大きく左右することになる。
 福山・金沢から3頭の遠征馬たちを迎えて、混戦ムードの中、スタートが切られた。まず先手を取ったのはゴールドサンサンだったが、倉地学騎手が抑えきれないほどの手応えで、ダイナマイトボディは最初のコーナーで先頭に立った。そこからはマイペースの逃走劇。徐々に後続馬たちを離していった。
 直線に入った時には、勝利を確信したという倉地騎手。「後ろから足音が聞こえなかったので、ニヤケちゃいました」。ゴールでは、会心のガッツポーズで喜びを爆発させた。
 牝馬による東海ダービー制覇は1988年のフジノノーザン以来となる快挙(※ ダートグレード競走として実施されていた2002年にはJRAのホーマンキュートが優勝している)。先行有利な馬場になったとはいえ、危なげのない、強いレースだった。
 今年に入ってからはゴール前で捕えられてしまうレースが続いていた。そのため角田輝也調教師は、前走の駿蹄賞で、未来優駿・ゴールドウィング賞を勝った時のような、コーナーで突き放す競馬をしてほしいと倉地騎手に指示していたが、思うような競馬にはならなかった。
 「倉地騎手自身が一番悔しい思いをしていたと思う。今日はパーフェクトな騎乗だった」。そう鞍上を称えた。
 この日、倉地騎手はダービー騎乗のために新しいブーツを履いて臨み、初の栄光を手にした。ダービーを勝つためにジョッキーを目指した少年は、デビューから21年の歳月を経て自らの手でその夢を叶えた。「ダービージョッキーだ」。馬から降りる時、そう呟いた倉地騎手の瞳は、少年のようにキラキラと輝いていた。
 対照的に、1番人気に支持されたカキツバタロイヤルにとっては、辛い馬場状態になった。前走の駿蹄賞を勝ったときには初の1900メートルで折り合いを欠いていたものの、この日は好位からスムーズにレースを進めることができた。それでも直線では前を捕えられず、最後はトウホクビジンにも離され3着に敗れた。
 「こんな馬場になるとは……運がなかった」。普段、あまり感情を表に出さない阪上忠匡騎手が、悔しそうな表情を浮かべた。デビュー7年目。「僕はまだ、ダービージョッキーになるのは早かったということです」。そう言い残して、競馬場を後にした。
 競馬関係者にとって、ダービーを勝つことが最高の栄誉であると再確認した東海ダービーだった。
 実力と運を兼ね備えた馬だけが、ダービー馬の称号を掴み取ることができる。勝った喜びと、負けた悔しさを目の当たりにして、今年のダービーウイークは幕を閉じた。

取材・文:赤見千尋
写真:NAR、三戸森弘康(いちかんぽ)

 
倉地学騎手
  今日はいつもより落ち着きがあったので、それがいい方に出るか悪い方に出るか僕自身も賭けでしたが、いい方に出てくれましたね。馬場に助けられた面もあるけど、終わってみれば楽なレースで、強かったです。ダービーなので緊張したけど、子供の頃からの夢が叶って嬉しいです。  
 
角田輝也調教師
  直線の伸びが物足りないところがある馬なので、コーナーで突き放すような競馬をしてほしいと思ってましたが、倉地騎手が上手に乗ってくれました。今後の予定はまだ白紙なので、これから馬主さんと相談して決めます。