JBC2019は浦和開催
「NEWがある!地方競馬」で始まった今年の地方競馬。元号も改まった今年、70年の歴史を有する浦和競馬でもNEWが実現します。・・・それは、『2019JBC浦和』。
JBC競走は、ダート競走のより一層の魅力の向上を通じ、地方競馬の発展や競走馬の生産振興を図るため、平成13年(2001年)に創設されました。実施する競走は、JBCクラシック、JBCスプリント、JBCレディスクラシックの3競走で、いずれもグレード格付けはJpnⅠ。1日に3つのJpnⅠのレースが実施されるJBC競走は “ダート競馬の祭典” とも称されています。
そんなJBC競走の開催は、浦和競馬の永年の夢でした。その夢が、令和最初の年に実現します。「馬が近い 空が広い 笑顔がいっぱい」の競馬場での初めてのJBC開催。新スタンドの建設、走路やパドックの拡張、植栽の整備など、浦和競馬はあらゆる環境を整え、11月4日(振月)、浦和競馬で史上初となるJBC競走を迎えます!
JBC2019 令和元年11月4日(振月) 浦和競馬場 | |||
第19回 | JBCクラシック | (2,000m) | 1着賞金8,000万円 15:30発走予定 |
第19回 | JBCスプリント | (1,400m) | 1着賞金6,000万円 14:45発走予定 |
第9回 | JBCレディスクラシック | (1,400m) | 1着賞金4,100万円 14:00発走予定 |
JBCの意義
JBCは、本家アメリカのブリーダーズカップ(ブリーダーズカップ ワールド サラブレッド チャンピオンシップス)に範を取りながら、将来的にはダートの各カテゴリー(年齢、性別、距離など)のチャンピオン決定戦とすべく、2001年にその第一歩を踏み出しました。
これは、いわば競馬の祭典であり、スポーツとしての競馬を象徴的に表現するイベントと捉えられるものです。
そして、このJBCには、もうひとつの欠かせない視点があります。これこそが、本家アメリカのブリーダーズカップが、そして日本のJBCが、他の競走と一線を画す所以(ゆえん)となるものなのですが、それは、その競走名称にも込められているように、生産者が主導して実施する競走という視点です。
競馬と生産
競馬は、その主役である「馬」という存在により、単にスポーツと賭け事というくくりを超え、様々に幅広い関わりを受け入れてきました。馬と人間のパートナーシップという長い歴史背景と、馬という生き物自体が備える人間の心を捉えて離さない魅力は、競馬に特別の趣を与え、例えばそれは、競馬が美術や文学のモチーフでさえある理由のひとつとなっているかもしれません。
同時に、馬が主役であることは、競馬がその背後に生産という産業的な広がりを持っていることを意味します。この生産との密接な結びつき、これが競馬をより多面的なものとしている大きな要因でしょう。
競馬において、競走と生産は理想の競走馬の追求という目的を共有することでその関係を成立させています。競走にとっての生産はそうした馬の供給源であり、生産にとっての競走は、その追及の成果を確認する場であるとともに、さらなる理想へ向けての生産資源を選定する場となっています。そして、この共通の価値観に基づく選定、例えば「チャンピオンの決定」と表現されるでしょうか、これが両者にとって最大の支持者たる大衆に訴えかけ、その共感を得ることができる最大の魅力となっているのです。
競走と生産、そして大衆の支持の良好な関係、これが競馬の発展を生んでいると言えるでしょう。
本家ブリーダーズカップ創設の背景
北米では1970〜1980年代にかけて、かつてないサラブレッド市場の拡大期を迎えました。生後1年数カ月の幼駒(イヤリング)にセールで 1000万ドル以上の値がついたり、数戦しただけの2歳馬に将来の繁殖馬として数千万ドル以上ものシンジケートが組まれるなど、異常に近いほどの馬の価格の高騰が見られたのです。しかしこれは、現実の競馬を置き去りにしたもので、ある面では生産者だけのマネーゲームですらありました。いざ競馬場の状況はと言えば、入場者数や発売金額の伸び悩みに苦しみ、このブームと反比例するかのように、大衆の支持を失いつつあったのです。
未曾有の生産ブームと競馬人気の低迷、このアンバランスを放置しては、やがてはこのブームの中心にいる生産者もその繁栄を手放すときがくる、そのような危機感が生まれたのも当然のことです。競馬そのものが大衆から見放されれば、いずれ市場は崩壊し、いかなる高価な馬であっても、その必要そのものがなくなってしまうでしょう。競走を実施する競馬場の運営は(大多数の競走の賞金を含めて)、直接、間接に興行収入、つまりファンの皆さまによる賭けとしての参加によって支えられているからです。
沈滞した競馬を救うために生産者自らが何かをしなければならない。これがブリーダーズカップ創設の原点でした。これは、ある意味では生産界が必要に迫られて行ったマーケット拡大のための利益の再投資でもあります。しかし、そのために取るべき方策が、できるだけ幅広い層に競馬の魅力をアピールし、競馬が大衆的な娯楽として、そして野球やフットボールのようなスポーツとしての支持を得るという思想に基づいたことは、沈滞した競馬を救う大きな力となりました。ブリーダーズカップの提唱者であるジョン・ゲインズは「最高のサラブレッドこそがスポーツとしての競馬が売り込める唯一のものであり、世間にアピールするにはそれしかない(S・クリスト著「ホーストレーダーズ」)」と、この思想を表現しています。
このように、生産者自らの発案、主導によるレース、これこそがブリーダーズカップの原点と言えるものです。そしてそれは、競馬のスポーツイベントという性格の象徴である「チャンピオンデー」と名づけられた1日をクライマックスとするものでした。
JBCの創設
ブリーダーズカップ創設当時のアメリカと全く同じ状況に現在の日本があるとは、必ずしも言い切れません。しかし、生産者としての競馬の現状に対する危機感、自ら立ち上がるべきという決意は、まさに共通するものです。
その生産者の危機感は主に地方競馬に向けられています。多くの地方競馬場の不振、存廃までもが議論される現状は、地方競馬を含めた総体での開催規模を基盤として成立している生産界にとってまさに憂うべき事態であり、また賞金の減額による馬の価格の低下や売れ残りは、すでに現実に生産者に打撃を与えています。
もちろん、国情や制度上の差異等により完全に一致したあり方は望めませんが、生産者の発案、主導によるレースという原点を同じくしたJBCは、競馬を幅広い層にアピールして大衆の娯楽として、スポーツとしての支持を集めるという思想も正確に踏襲しています。それは地方競馬の窮状打開によって日本の競馬全体の発展を図る意味合いから、地方競馬を中心に行われているダート競走においてチャンピオンデーを設けることとして計画されました。
そして2001年10月31日、ダートの選手権距離である2000mによるJBCクラシック、優秀馬の生産に不可欠な要素であるスピード能力を問う1200mのJBCスプリントの2競走をもってスタートすることとなったのです。
※2011年に、牝馬カテゴリーのJBCレディスクラシックを創設。
※2020年には、新たに2歳カテゴリーのJBC2歳優駿を加えたJBC4競走が実施される。