調教師にはならず、後進指導の道へ
2度の大怪我を乗り越えた佐々木竹見が地方競馬通算6000勝を達成したのは1987年2月23日、45歳のとき。81年を最後に南関東リーディングからも遠ざかっていたが、怪我による長期療養の年を除き、年間100勝以上は続けていた。この年は、生涯でもっとも思い出に残るという1頭、テツノカチドキで帝王賞、東京大賞典を制した年でもあり、円熟期を迎えていた。
「6000勝を達成したところで、とにかく7000勝までは頑張ろうと思いました」
6500勝達成が91年12月17日で、ちょうど50歳。そして目標としていた7000勝到達が98年7月1日で、56歳。「7000勝を達成して、1年くらい乗ったら引退しようか」とは漠然と考えていたという。しかし実際に引退したのは、7000勝達成から3年が経過した2001年のこと。
当初の考えより少し長く現役を続けたのは、前回も触れたとおり、7000勝を達成して1年と経たないうちに、佐々木を献身的に支え続けた圭子夫人を亡くしたことが大きい。
「女房が亡くなって、ここで騎手をやめたら精神的にまいってしまうと思い、しばらく騎手を続けました。ただ騎手をやめても調教師にはならないと、ずっと前から決めていました」と、引退の10年ほども前から調教師にはならないと公言していたという。
そうした状況で引退を前にして、地方競馬全国協会からの依頼があり、引退後は地方競馬全国協会の参与という立場で、騎手候補生の指導にあたることになった。
指導した候補生がトップジョッキーに
佐々木は引退して3カ月後の01年10月より、月に一度、栃木県那須塩原市にある地方競馬教養センターに出向くようになった。候補生の騎乗を見学し、その映像を見ながら、ひとりひとりに指導していく。その指導は12年3月まで、10年余りも続いた。
佐々木が最初に指導したのは、02年4月にデビューした75期生。この期には、NARグランプリ2022で、2度目の最優秀勝利回数騎手賞を受賞した吉村智洋(兵庫)、さらに最優秀賞金収得騎手賞を受賞した矢野貴之(大井)がいた。佐々木が後進の指導を始めてから20年以上が経過し、その最初の世代は、いま、地方競馬の中心的存在として活躍している。
教養センター時代から目立っていた騎手は?という問いには、まず大山真吾(兵庫)の名を挙げる。03年10月デビューの78期。デビューから1年と経たない04年7月には、菊水賞(ラガーヒトリタビ)で重賞初制覇。その年、大山は日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞。5年目の07年には早くも年間100勝を超える119勝を挙げ、2022年末現在で地方競馬通算1785勝となっている。
「北海道の桑村(真明)と阿部(龍)も、上手かったね」
桑村は、05年4月デビューの81期。13年、16~18年と、これまで北海道リーディングを4度獲得。18年には地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップに優勝し、地方代表としてワールドオールスタージョッキーズに出場した。
阿部は、12年4月デビューの90期。デビュー3年目には王冠賞(スタンドアウト)で重賞初勝利。ダートグレード競走では、エーデルワイス賞JpnIIIを17年ストロングハート、20年ソロユニットで勝利。北海道2歳優駿JpnIIIを18年イグナシオドーロで制している。またスーパーステションでは、18年に門別のマイル以上の古馬重賞(牝馬限定を除く)6戦完全制覇という快挙を達成した。
そして佐々木が最後に指導したのが、13年デビューの91期。その中には、近年南関東でリーディングのトップを狙える位置にいる笹川翼(大井)がいる。「笹川には、デビューしてからも膝を開いて乗っていたのが気になったので、締めて乗るように言ったら、今はきれいな姿勢で乗っています。近いうちに南関東のリーディングを獲るのではないでしょうか」
新人騎手の成長を見守る
佐々木の自宅は、川崎競馬の厩舎がある小向トレーニングセンターからほど近いところにある。それゆえ、今でも厩舎や調教コースに出かけている。そして川崎所属の若手騎手には、常に目をかけ、アドバイスもしている。
昨年(22年)川崎からデビューした3名はいずれも活躍が目覚ましい。
デビュー年に54勝を挙げた新原周馬については、「追ってからの姿勢がいいし、手綱も緩まないのがいい」
47勝を挙げた野畑凌には、「行きたがる馬を抑えすぎず、気分良く逃げさせる。デビューしたばかりの騎手にはなかなかできることではありません。追ってからの姿勢もしっかり乗れています」
22勝の小林捺花には、「4キロ減を生かして積極的に前に行くレースはいいと思います。ステッキの使い方も力強くなって、よくなっています」
地方競馬全国協会の参与という立場は離れても、若手騎手の成長を楽しみに見守っている。(つづく、敬称略)
文 斎藤修
写真 いちかんぽ