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どんこの競馬場の最終日


クローズアップ

2022.03.17 (木)

 

筆者は2002年に廃止された上山競馬場(山形県)の最終日に行き、その後も高崎競馬場(群馬県)、足利、宇都宮競馬場(栃木県)、益田競馬場(島根県)、北見競馬場(北海道・ばんえい競馬)、荒尾競馬場(熊本県)、福山競馬場(広島県)と、最終日に足を運んだ。

そこで見たのは数々の涙。日常的に訪問しているわけではない私でも、いろいろな感情が湧きおこってきた。

しかし今回の名古屋競馬場の最終日は、そういう雰囲気にはならないだろうなと思っていた。同じような感覚があったのが、ばんえい競馬が帯広競馬場で固定されると決まっていた北見競馬場の最終日。あのときも「さみしい」よりは「おつかれさま」という気持ちが上回った。

それでもやはり「最終日」。どれほどの混雑になるのかと思いながら名古屋競馬場に向かったが、午前8時半頃、私より先に到着した友人からは

「並んでいるのは5人です」

という連絡が来た。名古屋競馬場は3月18日から「サンアール名古屋」と名前を変えて、これまでと同じくスタンドで場外発売を継続することが発表されている。

それでも開門時にはおよそ150人から200人ほどが列を作っていたらしい。それもあって、開門予定時刻の10時10分を20分ほど早めたそうだ。

筆者が10時15分頃に到着したときの正門前は閑散としていたが、場内に入ってみると重賞が行われない平日にしては人が多かった。4コーナー寄りのスタンド裏手にいる2頭のヤギの周りにも常に人の姿。遠方からの来場者が多かったことの証だろう。

そのヤギの近くで店を構えているのが「松井屋」さん。この店は現在の名古屋競馬場でのレースが終わると同時に閉店される。

「きのうもたくさんの人が来てくれて、声をかけてくれましたよ」

最終日も普段どおりに店頭に立っていた松井美代子さんは話してくれた。

松井さんは食堂街が整備されて50年以上の間、店先から名古屋競馬場を見てきた。昨年は新型コロナウイルスの影響で無観客開催となる時期もあったが、緊急事態宣言の解除とともに店を再開。スタンドにいる人からは「最後の名古屋競馬を楽しもう」という雰囲気があるように感じたが、この一角は少しだけしんみりとした空気があるように思えた。

3月13日までのクロージングイベントが終了すると、パドックに近いエリアはファンが立ち入れないエリアになる。今後はゴール近くの建物から解体工事が始まり、それと同時進行で新しい場外発売所が2コーナー付近に建設される予定だ。新しい「サンアール名古屋」は約2年後にオープンする予定。それまでの間は、いちばん大きい第2スタンドと、有料席の「金シャチプレミアムラウンジ」がある第3スタンドが営業を続ける。新しい場外発売所の営業開始後は、2026年の秋に実施される予定の「アジア競技大会」の選手村にするために残りのスタンドも解体。つまりあと2年程度は今の名古屋競馬場の雰囲気が残ることになる。

それでもここで馬が走るのはこの日が最後。ベテランのファンが「私は80歳だから、50年以上は来ていますよ」などと話している声も聞こえてきた。その一方で「新しい競馬場へは○○の交差点を曲がると早いと思うよ」と、すでに気持ちが切り替わっている人もいた。

この日に組まれた12個のレースはすべて、これまでの名古屋競馬に感謝して、そして新しい競馬場へとつながっていく名前。最終レースの「どんこファイナル特別」の出走馬はレース名が入ったゼッケンを装着し、パドックにはたくさんの人が集まった。

そのパドックで馬とともに歩いていたのが安部幸夫調教師。レース後に話を聞くと「最後だから歩いてみたいなと思ってね」と笑顔を見せた。

パドックから最後の出走各馬が本馬場に移動すると、角田輝也調教師がファンエリアに向かって深々と頭を下げた。その近くには、元騎手で現在は愛知県競馬組合の職員として勤務している福重正吾さんの姿もあった。

「普段は行かないんですが、最後だからと思って。(ケガで引退したので)ラストまで騎手でいられたらなあと思いましたね。僕にとってのいちばんの思い出は、2005年のJBCのとき。ゴールドウィング賞を勝ってウイニングランをして、ステッキもゴーグルも客席に投げて、勝負服まで誰かにあげて(笑)。名古屋競馬場には人間として育ててもらったという思いがあるので寂しいですが、これから新しい競馬場をみんなと作っていけるように頑張っていきますよ」

と話した。

最終レースが終わってから閉場セレモニーまでの間、検量室の前では塚田隆男調教師が感慨深そうな表情でスタンドを見上げていた。

「(騎手時代に)障害レースにも3年くらい乗ったね。その頃は検量室が今の建物じゃなくて、もっとスタンド側にありました。僕は中学生のとき、競馬場から学校に通っていたんです。この場所に育ててもらいましたね」と、感謝の気持ちが大きい様子。塚田厩舎所属の友森翔太郎騎手は「さみしい思いと、次の新しい競馬場への楽しみと、そういうのが入り交じった気持ちです」とのこと。多くの関係者にも似たような思いがあるようだった。

4月からの競馬場は、厩舎地区と隣接。これまでトレセン内の調整ルームと競馬場とを往復していたバスは、3月11日が最終運行日になる。長らく運行を担ってきた鯱バス(株)の運転手さんは「ここに来るのは最後ですね」と、運転席でセレモニーが終わるのを待っていた。

その一方で、複数の騎手から「移動がなくなるので助かります」という声が聞かれた。トレセンから競馬場までは渋滞がなければ約30分。4月以降の開催日は旧・名古屋競馬場から新・名古屋競馬場まで無料バスが出るが、その所要時間は40分に設定されている。騎手や厩務員さんにとっては、移転は悪くない話といえるだろう。

その反面、開催にかかわるスタッフは通勤時間が増える人が大半。専門紙の競馬エースも本社がトレセン近くに移るそうだ。そういったさまざまな変化がある年度替わり。17時から開始された閉場式典を見守った多くのファンにとっても、新年度からの新しい競馬場は今までより気軽には行きにくい場所になる。

そして3月11日の終電をもって、競馬場へのメインルートである「あおなみ線」の名古屋競馬場前という駅名も鬼籍入り。翌12日に名前が変わった「港北」駅で電車から降りると、名古屋競馬場のクロージングイベントに向かうと思われる人の姿があった。

私もさっそく場内に入ると、パドックの前には物販などのテントが並び、観客エリアと業務エリアとの間にある大きな扉が開いていた。業務エリアに入ると、普段はマスコミ陣も入れなかった装鞍所が見学可能。晴れ渡る空の下、本馬場ではダートコースの砂の深さを実感している人、通常では撮れない角度で写真を撮っている人など、それぞれに名古屋競馬場を楽しんでいた。

第2スタンドは通常通り、水沢と佐賀、JRAの馬券を発売。今後も営業を続ける「あらぶ」「すみれ」「松よし」「ラッキー」の店内はこれまでと同様ににぎやかだった。

しかし前日の営業で最終日を迎えた「松井屋」は、厨房設備を取り外して片付け中。松井さんは

「きのうもたくさんの人が来てくれて、花束を5個くらいもらったかな。遠くからも来てくれてね。さみしいとか残念とか言われました」

体力面での心配もあって、競馬開催の終了を引退のきっかけにしたそうだが、それでもどこか名残惜しそうな表情をしていた。

私も「毎日に張り合いがないと、すぐに体が弱るから気をつけてくださいね」などと松井さんに声を掛けた。店頭に残っていた「みたらし」の旗などを写真に収め、後ろ髪を引かれつつ松井屋を後にすると

「ねえ、やっぱり屋台でもやらんかねえ」

という松井さんの声が聞こえてきた。

浅野靖典

写真 国分智(いちかんぽ)、NAR