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2019年8月30日

水野翔騎手 マカオ挑戦記

マカオの師匠と交わした約束

「まさか、こんな気持ちになるとは思いませんでした」

中華人民共和国マカオ特別行政区にあるタイパ競馬場。マカオジョッキークラブの2018/19シーズンの最終開催となる8月25日、最終レースでの騎乗を前に、パドックの手前で水野翔はポツりともらした。この日は水野にとっても、マカオでの約3ヶ月の短期騎乗の最終日でもあった。

水野は2014年にホッカイドウ競馬からデビューし、2017年いっぱいまでの4シーズンで83勝を挙げたのち、2018年から笠松競馬に移籍。その初年度である昨年は、キャリアハイの45勝を挙げ、今年も5月末の段階で昨年を越える48勝を挙げ、笠松でのリーディングランキング3位につけていた。いわば、今が昇り調子の真っ只中ともいえる好調ぶりだったが、それにも関わらずマカオへの3ヶ月の短期騎乗を選んだ。

「今が今までで一番いいときだというのは自分でも実感していたんですけれども、だからこそ、日本だけでなく、外の世界の競馬に身を置きたいと考えました」

伸び盛りならば、伸びしろがあればあるほど、いい。限られた環境に身を置いていては、その伸びしろも限られてしまう。日本ではそれほど知名度はないが、マカオはブラジル、イギリス、フランス、パナマ、フィリピンでトップ争いの経験がある騎手たちが集まる。当然、それぞれのスタイルは異なるため、彼らと競うことで、伸びしろの長さだけでなく幅も広げられることができる。

「マカオに行くことが決まったときに、『お前なんかが行っても意味がない』とか心無いことも言われましたし、逆に僕のことを考えてくれた上で『行くならまず南関東に行くべきだ』とも」

それでも水野はマカオを選択した。理由は、昨年6月からマカオで騎乗している元船橋競馬の中野省吾の存在だった。

実は、中野の口からも水野については、

「これからは水野翔の時代ですよ。マジですごいですよ」

と再三聞かされていた。

マカオの開催は週に1ないし2日。レースの中で試したいことがあっても、翌週まで待たなければならない。そこで中野は、平日に開催のある水野にレースの中でそれを試させ、水野も中野のイメージを忠実に実行できていたのだそうだ。

「さすがに誰もいなかったら行く気になったか判らないですし、省吾さんからいろいろ話を聞かされたり、レースの映像を見たりしているうちに、省吾さんからも誘われましたし、省吾さんがいるうちに行きたいと思いました。実際にこちらに来てからも、省吾さんがいなかったらちょっと心が折れていたかもしれませんでしたね」

水野は気持ちを固めると、早速師匠である笹野博にマカオ挑戦の意向を伝えた。笹野は、水野がホッカイドウ所属時代に期間限定騎乗の所属先として受け入れ、笠松に正式移籍する際も、新しい所属先として自分の厩舎に快く迎え入れてくれた大きな恩のある相手だ。だからこそ、水野の気持ちもよく理解しており、ふたつ返事でマカオへの挑戦を承諾した。

ただし、条件がひとつだけついた。「マカオのシーズンが終わるタイミングで終えて、引き上げてくる」こと。 今や大所帯の笹野厩舎としても、所属騎手が長く留守になるのは困るという点が主な理由だろうが、今となって考えてみると、シーズンが終わる頃、つまり冒頭の言葉を漏らす水野の心境を、笹野も先読みしていたのだろうと思う。

6月3日、水野はマカオへと降り立った。中野の紹介もあって、短期騎乗1週目から2鞍の騎乗依頼を得ることができた。初騎乗は6月9日の第9レース。スタートで後手を踏み、直線で盛り返すも7着という苦い競馬だった。続く第10レースも後方からバテた馬を交わして9着。笠松でのクセで、ついインを空けてしまったりもしていた。とはいえ、最初からいきなり簡単には結果は出ないもの。次に頑張ればいい。そう思っていたのだが、ところがそれすら簡単ではなかった。「次」がないのだ。

「1週目にレースにこそ乗れましたが、騎乗依頼はもちろん、調教にも声が掛からないんですよ。これはひょっとしてかなりマズいんじゃないだろうかと思いました」

マカオでは日曜、月曜を除いて、騎手は朝の調教に顔を出すことが義務付けられている。そして、調教で騎乗した馬は、そのままレースでの騎乗に直結する。知名度が低いうちは、とにかく調教での乗り馬を探すことが必須なのだ。ところが、そこで声が掛からない。水野の2週目は騎乗馬ゼロ。

「さすがに心が折れかけた」という水野を救ったのが、当地のトップトレーナーの1人MC.タン(譚文就)だ。

タンは、水野のような新顔が来ると、必ずといっていいほど、調教とレースの機会を与える。元ジョッキーでもあるタンの目線で、品定めをするのだ。ところが、このタンのお眼鏡に適うことはかなり稀なことで、ほとんどが1、2週でトップ騎手に乗り代わりとなってしまう。マカオのちょっとした通過儀礼と言っていいだろう。

このタンとの出会いが水野のマカオ挑戦を大きく変えた。

3週目の6月22日、タンは水野に2頭の騎乗馬を用意した。そのうち、第6レースのプレミアチョイス(有玩意・Premiere Choice)は、低評価を覆して5着に健闘。これが好評価だったのか、翌週6月29日には4頭を水野に依頼。そのうちの1頭が、当地G2サマートロフィー(サンド1350m)のファスバ(豐收寶・Fasuba)だった。ファスバはサンド1050mのレコードホルダーだったが、マカオでの勝ち鞍はいずれも1050mで、しかも今回は12頭立ての10番枠ということもあって、単勝は19.1倍の7番人気だった。

スタートから水野が積極的に押して先手を取ったファスバは、低評価に加え、人気馬同士がけん制し合ってノーマークの逃げに持ち込む。余力十分に直線を迎えると、最後まで後続を並ばせずに、そのまま押し切ってみせた。水野はゴール後に渾身のガッツポーズ。海外初勝利が、自身にとっても初の重賞勝利という驚くべきものになった。そして、これがタンの心を完全に射止めた。この日を境にタンは

「他の厩舎の馬に乗るなら、うちの馬がいないときだけにしろ」

と、水野を完全に囲い込んだ。実際、翌7月は19戦中18戦、8月は28戦中21戦がタンの管理馬での騎乗だった。

「それだけ見れば他の厩舎に乗せてくれなくて酷いと思うかもしれませんが、とにかく可愛がってもらっているということはよくわかりました。あと、MC(タン)は元騎手なのでアドバイスもより具体的で、自分に何が足りないかも実地で教えてくれるんです」

すでに60歳を超えるタンだが、調教には自分でも騎乗する。特に併せ馬では調教パートナーに馬上から指示を出すことも多いという。

「横で『プッチョヘンザ!』って叫ぶから、え? ヒップホップのノリで、手綱持ったまま手を挙げるの? と思ったのですが、そうではなく、『Put your hand on』だったり『hand down』だったりだったんですよね。でも、乗りながら、本当によく見てくれていて、いろいろ指摘もされました」

実際にタンにその辺りを聞くと、

「カケルは騎乗センスはとにかく素晴らしい。教えることをどんどん吸収していく。あとはとにかくパワーとスタミナをつけること。毎日木馬で10分ぶっ通しで追う練習を続ければ完璧だ」

と驚くほどにベタぼめだった。

2勝目も同じくタンが管理するファスバで挙げた。その後、その騎乗ぶりが評価されて、他厩舎からも騎乗を集めて2勝を挙げるが、逆にタンの管理馬では、8回もの2着を積み上げるに終わった。その中には、今年のマカオダービー3着馬のビッグアローイ(大合金・Big Alloy)もあった。このビッグアローイでは、シーズン最終日のG1マカオゴールドトロフィーにも参戦(9着)した。

「MC以外の厩舎で2勝させてもらえたのはよかったんですけど、一番お世話になったMCは2着ばっかりで、最後に勝って帰れなかったのが申し訳なかったです」

迎えた最終日。この日は全6レース全てに騎乗依頼が入った。

第1レースをリーディング調教師のタイトルを決めたスタンレー・チン(錢健明)が管理するフォーチュンドラゴン(如意飛龍・Fortune Dragon)で勝利。合間合間に、調教師やオーナー、記者、厩舎スタッフと次々に声をかけられる。

「今日で帰っちゃうのかい?」

「次はいつ戻ってくる?」

「ずっとマカオで乗りなよ」

「マカオでもトップを狙えるよ」

「絶対に帰ってこいよ」

レース前日には、タン厩舎のシーズン慰労会が行われ、そこにはもちろん水野も招かれた。ブランデーを浴びるように飲んだタンは、水野との別れを惜しんだ。

水野には、日本の師匠との約束がある。

「じゃあ、俺とも約束しよう。いいか、鍛錬は怠らないこと。毎日10分な。そして、日本でてっぺん取ってこい。お前ならできる」

第4レースは、タンの馬に乗る最後のレース。結果は8番人気で5着。タンは鞍を外した水野を迎え、検量室の前でひと言ふた言、レースでの印象だけ聞くと、そのまま足早に厩舎へと去っていった。普段、ポーカーフェイスのタンの目に、うっすらと光るものが見えたのを、悟られまいとしていたのかもしれない。

「帰る頃は、ああ終わるんだなあ、ぐらいだと考えていたので、こんなにも泣かされそうになるとも思わなかったし、こんなにも帰りたくなくなるとも想像してませんでした」

冒頭の言葉の理由を、水野は続けた。

「笹野先生にもお世話になっていますが、まさか海外で、言葉もろくすっぽできないのに、ここまで愛情深く接してもらえたのは、本当に感謝とかでは語りつくせないです。

絶対にMCとの約束を果たして、またここに来たいです」

(文中敬称略)

  • 取材・文・写真
  • 土屋真光