ダービーウイーク タイトル

 3歳馬に課せられた至上命題=ダービー馬の称号

 全国各地の6競馬場(佐賀・盛岡・門別・大井・園田・名古屋)で行われる“ダービー”競走を短期集中施行する夢のような一週間、それが「ダービーウイーク(Derby Week)」(創設2006年)。
※ 東京ダービーの1・2着馬にはジャパンダートダービー(JDD)への優先出走権が与えられ、その他5競走は指定競走(注)として認定されている。
(注) 指定競走とは、その1着馬が根幹競走の選定委員会において、同一地区内の他の馬に優先して選定される競走をいう。なお、他の優先出走権の状況や指定馬の数によって適用されない場合がある。
 この一週間で勝利を掴む各地のダービー馬は、全国3歳馬のダート頂上決戦「ジャパンダートダービーJpnI(大井・7/11)」出走に向け、大きなアドバンテージが得られる(※)、いわば「甲子園方式」のシリーズレース。

 前年秋の「未来優駿」シリーズを皮切りに、一世代でしのぎを削る熱き戦いは、集大成への大きな山場を迎え、興奮はクライマックスへ。“8日間のお祭り騒ぎ”6連発のダービーウイークをお見逃しなく!

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期待にこたえ8馬身差楽勝
母に続いて狙うは全国区

 7年目を迎えるダービーウイークは、今年も佐賀の九州ダービー栄城賞からスタート。この日の佐賀競馬場は気温が29度にまで上昇し、夏を思われるような陽気となった。
 残念ながら昨年限りで荒尾競馬が廃止となり、九州ダービーとはいっても佐賀勢に高知からの遠征馬が加わっての一戦。ところが高知から単騎遠征予定だったサンダーボーイが、馬運車に積み込むときに怪我をしたとのことで出走取消。地元佐賀勢同士の争いは、荒尾ダービーがなくなったことで2月の飛燕賞以来の重賞となる牡馬勢に、ル・プランタン賞を含むグランダム・ジャパン3歳シーズンを戦ってきた牝馬勢が挑むという構図となった。
 注目は、飛燕賞の圧勝を含めここまで7戦6勝、2着1回と、ほとんど無敵の快進撃を続けているエスワンプリンス。単勝支持率は79.4%で、もちろん元返しの断然人気。しかし不安がないわけはなく、過去の成績を見ると、デビュー戦の馬体重が507キロとあるだけで、2戦目以降は“計量不能”となっていること。今回も装鞍所に向かうところで頭絡が切れるアクシデントがあり、大事をとって馬体重は測定されず。装鞍所の枠場に入るときもうるさいところを見せた。とはいえパドックでは落ち着いていたし、ゲート入りを嫌がることもない。どうやら屋根のある暗いところを嫌がっている様子なのだが、ほんとうのところはどうなのだろう。
 しかしそんな心配をよそに、レースはまったく危なげのない内容で、エスワンプリンスの圧勝となった。
 トライアルの鯱の門特選を勝ったアマクサボーイが先頭に立ち、エスワンプリンスは2番手を追走。中団を追走していた2番人気のダイリンウィークが、2周目の向正面に入ったところでエスワンプリンスの外から並びかた。しかしその瞬間、気配を感じた鮫島克也騎手が手綱を動かして軽く気合をつけると、エスワンプリンスはあっという間に単独先頭へ。あとは後続を離す一方。直線でもムチは使われず、懸命に追ってくるダイリンウィークに8馬身という決定的な差をつけてのゴールとなった。
 レース後、「次は外に行きます!」と手島勝利調教師。“外”とは、もちろんジャパンダートダービーJpnⅠのこと。「佐賀ではこの距離でもこなしていますが、一番いいのは1400から1600メートルくらいだと思うので、ジャパンダートダービーのあとはそのあたりの距離を狙っていこうと思います。中央の1000万クラスあたりも考えています」とのこと。
 同じく手島調教師が手掛けた母のエスワンスペクターは03年の2歳時に門別まで遠征、エーデルワイス賞GⅢを10番人気で制した。過去に佐賀所属馬が中央との交流重賞を制したのは、ほかに96年佐賀記念のリンデンニシキがいるのみ(中央が条件クラスの霧島賞・たんぽぽ賞は除く)。他場に遠征してのダートグレード制覇は、今のところエスワンスペクターただ1頭。それゆえ、厩舎関係者がエスワンプリンスに賭ける期待も相当に大きいようだ。
鮫島克也騎手
(ゲートで)隣の馬が立ち上がったのを気にして出遅れました。前につけないといけないと思って、2番手をとるまで少し押して行きました。相手はダイリンウィークだけと思ったので、逃げた馬は気にしていませんでした。流れはちょっと緩いと思いましたが、ほんとに強かったです。
手島勝利調教師
大本命になっていましたが、何があるかわからないので、心配もしていたので、とにかく勝ててホッとしました。化骨が遅くて、一度負けましたが、そのあとからほんとうに強くなりました。自分がやってきたことが間違いではなかったです。


取材・文:斎藤修
写真:桂伸也(いちかんぽ)