このレースだけは譲れない。真のパワー勝負で連覇達成
今年もすごいレースを見せてもらった。
ばんえい記念で馬場水分量が1%を切ったのは、水分量の記録が残されている80年以降では01年にサカノタイソンが勝ったとき(0.9%)以来2度目、0.6%は史上もっとも乾いた重い馬場となった。
そして真のパワー勝負となった過酷なレースを制したのは、昨年に続く連覇となったトモエパワーだった。
第1障害でも苦戦する馬がいるのは、ばんえい記念では毎年のことだが、第2障害までの間で各馬が何度刻んだだろうかというほどの超スローペース。つまりはそれだけ重い馬場だったということだ。
第2障害を最初に仕掛けたトモエパワーが3腰で障害をクリアした。しばらくしてミサイルテンリュウが続いたが、トモエパワーはすでにセーフティリード。「ゴールまでは2回くらい止まるかと思っていたけど、3回止まってしまった」とは西弘美騎手だが、余裕のゴールだった。
ミサイルテンリュウのあと、3番手グループはかなり離れた。ゴール前で行き脚が鈍ることが多いミサイルテンリュウだが、それ以上に後続が1000キロで挑む障害と重い馬場に苦戦したため、そのまま2着に粘り込んだ。
勝ちタイム5分35秒8は、ばんえい記念史上もっとも遅いタイム。これまでもっとも時計がかかった決着は「イエヤスの天下取り」と言われた89年の5分32秒2で、このときの手綱も西弘美騎手だった。
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西弘美騎手 |
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松井浩文調教師の話によると、トモエパワーは3月ごろから練習用のソリに約1トンの荷物を積み、さらに石の重りをソリが引きずるようにして練習走路の障害で調教をしていたのだそうだ。その重量を量ってはいないものの、1200キロくらいあったのではないかとのこと。
1000キロで5分以上かかるレースに耐えうる調教を積んできたのは、どうやらトモエパワーただ1頭だったということのようだ。
そしてこれが引退レースとなったアンローズは、勝ち馬から2分以上遅れ7着でゴール。このとき期せずしてスタンドから大きな拍手。そして10分近くかかって最後のダイニハクリュウがゴール(記録上は失格)したときは、さらに大きな拍手が起こった。
勝ち馬だけでなく、ゴールしたすべての馬を称える。これもばんえい記念にしかない魅力だ。
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