「似た話」
こんにちは。東京ダービー(たぶん)実況担当の大川充夫です。
わたくし競馬のレース実況というものをなりわいにしておりますが、この世界に入ったのは97年。北関東地区においてでした。
この仕事を「97年にはじめた」と言えるのは、たった今調べたからです。が、せっかく調べても、いつもすぐこの数字を忘れてしまうのです。ですから、「実況して何年めですか?」という問いに、毎度毎度、即答できません。いい加減に覚えろよ、って話なんですが。
仕方がないので、質問者が競馬にかなりくわしい方の場合には、以下のようにお答えすることにしています。
「
イヴニングスキーのデビューと同じ年からやってます」
イヴニングスキーという名前でピンとこない方のために言い添えますと、イヴニングスキーという馬は(もちろん馬の名前ですよ)、あの
ベラミロードの兄で、98年の北関東ダービー優勝馬です。
ベラミロード…って何?という方には、もう説明しようがないのですが、ベラミロードはイヴニングスキーの1年妹で、この馬も99年の北関東ダービーを勝っています(っつか、その年の北関東三冠馬だ。ほかの戦績についてはご自分で調査なさってください。偉大な馬でした)。
イヴニングスキーとベラミロード、いずれも北関東ダービーを制覇したときに手綱をとったのは、内田利雄騎手でした。つまり、内田利雄騎手は98・99年と、北関東ダービーを連覇しているわけです。
北関東から競馬がなくなって6年目となりますが、内田利雄騎手は現役です。それも地方ではほかに例のない、(実質)フリー騎手として、各地を転戦しています。これまでの通算勝ち星は3266勝(5月20日現在)。
内田利雄騎手は、うつのみや・足利のリーディングジョッキーを何年も続けていた方です。わたしが栃木でレース実況をはじめたときにはすでに不動のリーディングでしたし、重賞競走も数えきれないほど勝っていました。
では、その内田騎手が、このイヴニングスキー・ベラミロードでの連覇をふくめて何度、ダービーを制覇しているかというと…。
じつは、この2回だけ、なのです。
当時すでに通算2000勝を突破し
このひとが乗ればどんな馬でも人気になり
毎開催のように重賞勝ちをおさめ
表彰台から100万ドル(だったか1000万ドルだったか)の流し目をファンにおくって歓声をあびていた内田利雄騎手。
そのMr.ピンク内田利雄が、ダービージョッキーとなるのには20年を要したのです。
あの内田騎手でもダービーを勝ったことがなかった、という事実は、当時まだ北関東競馬の様子がよくわかっていなかった新人時代のわたくしにとって衝撃的でした。
ダービーとはそれほどまでに勝つのが難しいレースなのか。
そんなふうに思ったからこそ、内田騎手がその翌年にまたダービー勝って連覇を成し遂げてしまった、というのもかなり衝撃的でした。やっぱりスゴいな、このひとは。勝ったと思ったら連覇しちゃうんだもんな。他にこんなひと、いない…か?
待てよ。
トップジョッキーで、わんさと重賞も勝っていて、そのひとが乗ればどんな馬でも人気になる、という騎手で、長いことダービー勝てなくて、やっと勝ったと思ったら翌年も勝って連覇を成し遂げた、っていう騎手の話、もうひとつ知ってるような気が…。
ええと、よく似た話ってのはあるモノなんですねえ(汗)。
それとは別に。
08年の東京ダービー、勝ったのはドリームスカイでした。戸崎圭太騎手は前年に続いてのダービー連覇となりました。
08年の日本ダービー、勝ったのはディープスカイでした。四位洋文騎手は前年に続いてのダービー連覇となりました。
Dスカイと騎手連覇か…。似た話ってのはあるモノなのね、と、このときも思ったものです。
その話、そんなに似てるか?とか、一緒にしてどうすんだ、とか言われそうではありますが、ダービーっていうとこういうことを思い出す、という話です。